2010年、アフリカ17か国が独立50周年 植民地主義とは何だったのか
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【2月19日 AFP】アフリカの17か国は今年、独立50周年を迎える。それぞれの国の人びとが国民アイデンティティーへの誇りをかみしめながら、植民地主義以後の過ちや失敗、そして成功を振り返る年でもある。
アフリカで仏植民地14か国を含む17か国が一斉に独立した1960年は、「アフリカの年(Year of Africa)」とも呼ばれた。それから半世紀。カメルーン、セネガル、マリなど政治的に安定した国がある一方で、コンゴ民主共和国やソマリアなど、独立時の熱狂が内戦や貧困、政情不安に道を譲った国も数多い。
独立前夜のコートジボワール南部アビジャン(Abidjan)に生まれたというジャーナリスト、ベナンス・コナン(Venance Konan)氏は、「現在も、北部の反政府武装勢力に国が牛耳られ、人民が貧困にあえぐなかで豪華絢爛(けんらん)な独立記念式典を行うなど、神経を逆なでされるようなもの」だと感じている。
コナン氏は、コートジボワールの現状を「植民地主義というくびきから逃れたのに、その先にあったものは一党独裁・軍事独裁政権という別のくびきだった」と描写し、「われわれアフリカ人は、どこで間違ってしまったのかを時間をかけて理解していく必要がある」と述べた。
■植民地主義と旧宗主国のフランスに批判が集中
サハラ以南の植民地のなかで最初に独立したのはガーナで、1957年のことだった。これをきっかけに、アフリカ各地で反植民地主義ナショナリズムの機運が高まり、ほかの国々も続いて独立を勝ち取った。
コンゴ民主共和国の歴史学者、エリキア・ムボコロ(Elikya Mbokolo)氏は、「(アフリカ諸国は)60年代に力強い前進を遂げたが、その後の25年で大きく減速してしまった」と振り返りながらも、現在については「再び前進している」と話した。また、今日では諸問題を抱える国よりも新たに台頭を始めた国々の方が数で上回っているとも指摘した。
その一方で、植民地時代に郷愁を感じている人も少なくない。コートジボワールの元公務員、ジャーメイン・クワシ(Germaine Kouassi)さん(67)は、「独立前、学校の授業料はタダだったし、羽ペンや筆立てなど必要な文房具は全て支給された」と懐かしむ。
しかし、そういった郷愁の声も、植民地非難の強い主張にかき消されてしまう。ムボコロ氏は、植民地統治は「あからさまな人種差別と狂乱的な経済的搾取に基づいたものだった」と断言した。
ガボンのオマール・ボンゴ大(Omar Bongo University)大のギイ・ロザッタンガ=リグノー(Guy Rossatanga-Rignault)法学部教授は、植民地主義をレイプに例えた。だが「レイプで妊娠させられたが、美しい赤ん坊が産まれたので、そう悪くはなかった」といった解釈にもつながりかねないとして、同教授はレイプとの表現も不適切だと考えている。教授は、「アフリカは文明化してほしいと頼んだ覚えは一度もないが、植民地化されなかったアフリカを想像できる人もいないだろう」と総括した。
一方、独立後も利権を維持するために、アフリカに深く関与してきた旧宗主国のフランスを断罪する人もいる。
カメルーンの人権活動家、ポーリン・チェンボウ(Paulin Tchuenbou)氏は、「カメルーン国民の生活向上よりも、政治家たちが自らの特権やフランスの利益確保を重視するような国をフランスは支援してきた」と批判した。
■「世界の周縁」から「世界の一部」に
自由化プロセスが未完了なうえに、経済安定や自国民の食糧確保など課題も山積するなか、独立記念式典は国民アイデンティティーの誇りを思い起こす機会を与えてくれる。
前年のクーデターによる政治危機が今なお続くマダガスカル出身の歴史学者、ルチル・ラベアリマナナ(Lucile Rabearimanana)氏は、「マダガスカル人であることを誇りに思う。民族主義が多少残ってはいるが、ワン・ネイション(1つの国家)という概念は息づいている」と述べた。
先のロザッタンガ=リグノー教授は、アフリカ諸国に「精神的な束縛から自らを解き放し、いつまでも世界の周縁で満足せずに世界の一部になろう」と呼びかけた。(c)AFP/Laurence Boutreux
アフリカで仏植民地14か国を含む17か国が一斉に独立した1960年は、「アフリカの年(Year of Africa)」とも呼ばれた。それから半世紀。カメルーン、セネガル、マリなど政治的に安定した国がある一方で、コンゴ民主共和国やソマリアなど、独立時の熱狂が内戦や貧困、政情不安に道を譲った国も数多い。
独立前夜のコートジボワール南部アビジャン(Abidjan)に生まれたというジャーナリスト、ベナンス・コナン(Venance Konan)氏は、「現在も、北部の反政府武装勢力に国が牛耳られ、人民が貧困にあえぐなかで豪華絢爛(けんらん)な独立記念式典を行うなど、神経を逆なでされるようなもの」だと感じている。
コナン氏は、コートジボワールの現状を「植民地主義というくびきから逃れたのに、その先にあったものは一党独裁・軍事独裁政権という別のくびきだった」と描写し、「われわれアフリカ人は、どこで間違ってしまったのかを時間をかけて理解していく必要がある」と述べた。
■植民地主義と旧宗主国のフランスに批判が集中
サハラ以南の植民地のなかで最初に独立したのはガーナで、1957年のことだった。これをきっかけに、アフリカ各地で反植民地主義ナショナリズムの機運が高まり、ほかの国々も続いて独立を勝ち取った。
コンゴ民主共和国の歴史学者、エリキア・ムボコロ(Elikya Mbokolo)氏は、「(アフリカ諸国は)60年代に力強い前進を遂げたが、その後の25年で大きく減速してしまった」と振り返りながらも、現在については「再び前進している」と話した。また、今日では諸問題を抱える国よりも新たに台頭を始めた国々の方が数で上回っているとも指摘した。
その一方で、植民地時代に郷愁を感じている人も少なくない。コートジボワールの元公務員、ジャーメイン・クワシ(Germaine Kouassi)さん(67)は、「独立前、学校の授業料はタダだったし、羽ペンや筆立てなど必要な文房具は全て支給された」と懐かしむ。
しかし、そういった郷愁の声も、植民地非難の強い主張にかき消されてしまう。ムボコロ氏は、植民地統治は「あからさまな人種差別と狂乱的な経済的搾取に基づいたものだった」と断言した。
ガボンのオマール・ボンゴ大(Omar Bongo University)大のギイ・ロザッタンガ=リグノー(Guy Rossatanga-Rignault)法学部教授は、植民地主義をレイプに例えた。だが「レイプで妊娠させられたが、美しい赤ん坊が産まれたので、そう悪くはなかった」といった解釈にもつながりかねないとして、同教授はレイプとの表現も不適切だと考えている。教授は、「アフリカは文明化してほしいと頼んだ覚えは一度もないが、植民地化されなかったアフリカを想像できる人もいないだろう」と総括した。
一方、独立後も利権を維持するために、アフリカに深く関与してきた旧宗主国のフランスを断罪する人もいる。
カメルーンの人権活動家、ポーリン・チェンボウ(Paulin Tchuenbou)氏は、「カメルーン国民の生活向上よりも、政治家たちが自らの特権やフランスの利益確保を重視するような国をフランスは支援してきた」と批判した。
■「世界の周縁」から「世界の一部」に
自由化プロセスが未完了なうえに、経済安定や自国民の食糧確保など課題も山積するなか、独立記念式典は国民アイデンティティーの誇りを思い起こす機会を与えてくれる。
前年のクーデターによる政治危機が今なお続くマダガスカル出身の歴史学者、ルチル・ラベアリマナナ(Lucile Rabearimanana)氏は、「マダガスカル人であることを誇りに思う。民族主義が多少残ってはいるが、ワン・ネイション(1つの国家)という概念は息づいている」と述べた。
先のロザッタンガ=リグノー教授は、アフリカ諸国に「精神的な束縛から自らを解き放し、いつまでも世界の周縁で満足せずに世界の一部になろう」と呼びかけた。(c)AFP/Laurence Boutreux