【8月30日 AFP】25日に死去した米民主党のエドワード・ケネディ(Edward Kennedy)上院議員に対し、1970年代初頭、当時のリチャード・ニクソン(Richard Nixon)大統領が政府から派遣したボディガードにスパイをさせていたことが、公開された機密資料で明らかになった。

 ニクソン大統領は1971年2月から73年7月の約2年半にかけて、ひそかに自分の会話を録音していた。72年の大統領選での再選に不安を抱えていたニクソン氏は、ケネディ氏の浮気の証拠をつかもうとした。71年9月8日には「ひたすら奴(ケネディ氏)を監視しろ」という指示が録音されている。

 テープのなかでニクソン氏は、大統領選の選挙期間中にケネディ氏が暗殺された兄2人と同じ運命をたどった場合、暗殺の黒幕は自分だという批判を浴びかねないことを懸念し、そうした事態が起こらないよう、ケネディ氏に米大統領警護隊(シークレット・サービス、US Secret Service)のボディガードをつけると決めている。その上で、それらのボディガードにケネディ氏をスパイさせるよう、側近たちに命じている。

 大統領補佐官のジョン・アーリックマン(John Ehrlichman)氏に、大統領が「シークレット・サービスのなかに、誰か信用してこれを任せられる人物はいないか」とたずねると、アーリックマン氏は「何人かいます」と答えている。さらにニクソン氏は、ケネディ氏の警護活動は選挙期間中だけでいいと強調し、その後にケネディ氏が「撃たれても関係ない」と述べている。

 ケネディ氏は72年の大統領選候補にはならかったので、自動的に警護がつく資格はなかったが、ニクソン氏はケネディ氏が暗殺された場合に自分が受ける政治的影響を懸念し、「あの畜生が撃たれたら、何も対策をうっていなかったと非難されるのはこっちだ。彼に『保険』」をかける必要がある」と語っている。

 いくつかの会話では、ケネディ氏の身に災いが振りかかることが将来あるだろうとも断言している。ケネディ氏は69年に、米マサチューセッツ(Massachusetts)州チャパキディック島(Chappaquiddick Island)で自動車事故を起こし、現場から逃走した。このとき同乗していた女性が死亡したことなどで、自らの大統領選出馬への道は閉ざされた。71年4月9日付けの会話では、ニクソン大統領はこの事故に言及し、「見ていろ、もっとすごいことが起こるぞ」と述べている。

 同じ会話の中でニクソン大統領と側近たちは、ケネディ氏の最初の妻ジョーンさんが、ホワイトハウスであった催しに出席した際の服装についても批判し、ケネディ氏が夫人に半ズボンをはかないよう説き伏せていたことにも触れている。ニクソン氏が「あれはお粗末だ。彼女はなにをしたかったんだ?」と憤慨すると、H・R・ホールドマン(H.R. Haldeman)大統領補佐官には「多くの米国人がホワイトハウスに対する冒とくだと感じるでしょう」と相槌をうっている。

 71年5月28日はスパイ活動について「誤ったことかもしれないが、いつかやるならば早いほうがいい」と道徳観の揺らぎもみせているが、9月8日の会話では迷いはまったく消え去り、ケネディ氏などの民主党員を「率直に言って、多少苦しませたいくらいだ」と発言している。

 しかし、ニクソン大統領からスパイ活動の結果を尋ねられたアーリックマン氏は「まったくやましいところがない。彼は非常にクリーンです」と答えている。その直前のハワイ旅行についても、ケネディ氏は「知人の別荘に滞在し、その間も監視を続けさせたが、全くもっていい奴でした」とアーリックマン氏が述べたのに対し、ニクソンは「ひたすら見張りを続けろ」と指示している。

 会話の一部は、ニクソン氏の遺したテープ研究の権威で、テキサスA&M大学(Texas A&M University)のルーク・ニクター(Luke Nichter)助教授が監修したウェブサイト上で公開されている。(c)AFP/Olivier Knox