【5月12日 AFP】日本政界の表も裏も知り尽くした小沢一郎(Ichiro Ozawa)氏(66)は、首相というゴールを前にしたホームストレッチで献金スキャンダルに倒れた。

 この無骨なベテラン政治家は11日、数か月におよぶ圧力と世論調査結果に押される形で野党・民主党(Democratic Party of JapanDPJ)代表を辞任する意向を表明した。

 1990年代初めに与党・自由民主党(Liberal Democratic PartyLDP)を離れた小沢氏は、わずか数か月前には、不人気の麻生太郎 (Taro Aso)首相を総選挙で打ち破ると広く考えられていた。

 しかし今年3月、小沢氏の公設第一秘書が建設会社から違法な献金を受け取っていたという日本の政界ではおなじみのスキャンダルで逮捕・起訴されたことで、小沢氏が首相になるチャンスはついえてしまった。

 自民党の元建設大臣の息子で、東京の慶応大学(Keio University)を卒業した小沢氏は1969年に初当選を果たした。

 田中角栄(Kakuei Tanaka)氏の秘蔵っ子として自民党で頭角を現し、1980年代から1990年代前半にかけて自治大臣、自民党幹事長を歴任した。

 政治的には保守派で、1993年には著書「日本列島改造計画」で平和主義の戦後日本を経済力に見合った軍事力を持つ「普通の国」にすべきだと主張した。

 同年小沢氏は自民党を離党し、自民党は38年占め続けた政権与党の座を失った。非自民の連立政権が発足したが長続きせず、自民党はわずか10か月後に政権に返り咲いた。

 小沢氏は小政党の結成と解散を繰り返した後の2003年、旧社会党議員と自民党に不満を持つ保守派議員が1998年に結成した民主党に参加した。

 2007年の参議院選挙で民主党は、安倍晋三(Shinzo Abe)元首相の政権に不満を持つ有権者の支持を得て自民党らの連立与党を破った。

 しかし、小沢氏は政界の頂点に上ることはできなかった。辞任会見で小沢氏は「政権交代という大目標を達成するために、自ら身を引くことで民主党の団結を強め、挙党一致をより強固なものにしたいと判断した次第であります」と厳しい表情で語った。(c)AFP