中国で11年服役のウイグル人東大院生、帰り待つ在日家族
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【3月18日 AFP】10年以上にわたって中国で拘束されていた夫の解放を日本で待っていたウイグル人の女性がいる。前月、ついに夫は釈放されたが、女性は、夫が本当に自由の身になったのか不安だと語る。
東大大学院に留学し、アジアの歴史を研究していたウイグル人男性トフティー・トゥニヤズ(Tohti Tunyaz)さん(49)は、11年前に中国の新疆ウイグル(Xinjiang Uighur)自治区へ一時帰国した際に逮捕され、国家分裂扇動罪などで収監された。
その後11年間、トフティーさんの妻、ラビヤ(Rabiya)さん(45)は、子ども2人と東京近郊で暮らし夫の帰りを待っていた。
トフティーさんとラビヤさんの故郷、新疆ウイグル自治区は、中央アジアと境界を接する広大な地域。約830万人のイスラム教徒が暮らしているが、その多くは中国当局から政治的・宗教的迫害を受けていると訴えている。
トフティーさんは前月10日に出所したが、その後ラビヤさんと電話で会話したのはたったの2回。ラビヤさんは、いつになったら再会できるのか分からないと語る。
ラビヤさんは、トフティーさんに日本に戻ってきて研究を続け、家族とともに暮らしてほしいという。長男は19歳に成長し、11歳の長女は、父親のことを写真でしか知らない。
トフティーさんは、古くからシルクロード(Silk Road)の要衝だったカシュガル(Kashgar)で生まれ、中国政府の少数民族についての顧問となり、1991年に歴史研究のため初めて来日した。
その後、1994年に再び来日し、東京大学の大学院でアジア史を学んでいた。
ラビヤさんは、トフティーさんについて「歴史研究が大好きだった」と語る。トフティーさんは分離独立派でもなければ政治活動家でもなく、ウイグル史を研究したいだけなのだという。
96年には、中国語で『A Study of Uighur History and Culture(ウイグル歴史文化研究)』を出版した。中国では現在も入手可能だという。
しかし、98年、博士論文に必要な歴史資料の収集のため中国に帰国したラフティーさんは、国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル(Amnesty International)によると、「国家機密を不法に入手した」疑いで逮捕された。
99年に行われた非公開の裁判で、トフティーさんは禁固11年の有罪判決を下されたほか、続く2年間の投票や出版などの政治権利を剥奪(はくだつ)された。
報道によると、安倍晋三(Shinzo Abe)元首相が、中国の胡錦涛(Hu Jintao)国家主席に対し、トフティーさんの日本への出国を許可するよう要請した。また、東京大学は今もなお、トフティーさんのポストを空席にして待っているという。
ラビヤさんによると、2月10日に新疆ウイグル自治区の区都ウルムチ(Urumqi)の刑務所から出所して以降、トフティーさんは中国当局の監視下にあり、電話で話す際も慎重に話していたという。
新疆ウイグル自治区の刑務所当局高官は、AFPに対し、「その人物は2月10日に刑期を終え、北京(Beijing)へ向かった。現在の所在地については、われわれは知らない」と語った。
ラビヤさんによると、ウルムチの刑務所当局の高官は前年10月、電話でラビヤさんに子どもといっしょに中国へ帰国するよう求め、帰国するならば政府当局が家族を手厚く保護すると約束したという。
ラビヤさんは、この要請を断ったと述べ、子どもたちは日本語しか話せないと語った。ラビヤさんは、最近になって日本国籍の取得が認められた。
中国にいる夫に会いに行くつもりかと質問したところ、ラビヤさんは、それも考えたが危険を冒したくはないと語った。(c)AFP/Kyoko Hasegawa
東大大学院に留学し、アジアの歴史を研究していたウイグル人男性トフティー・トゥニヤズ(Tohti Tunyaz)さん(49)は、11年前に中国の新疆ウイグル(Xinjiang Uighur)自治区へ一時帰国した際に逮捕され、国家分裂扇動罪などで収監された。
その後11年間、トフティーさんの妻、ラビヤ(Rabiya)さん(45)は、子ども2人と東京近郊で暮らし夫の帰りを待っていた。
トフティーさんとラビヤさんの故郷、新疆ウイグル自治区は、中央アジアと境界を接する広大な地域。約830万人のイスラム教徒が暮らしているが、その多くは中国当局から政治的・宗教的迫害を受けていると訴えている。
トフティーさんは前月10日に出所したが、その後ラビヤさんと電話で会話したのはたったの2回。ラビヤさんは、いつになったら再会できるのか分からないと語る。
ラビヤさんは、トフティーさんに日本に戻ってきて研究を続け、家族とともに暮らしてほしいという。長男は19歳に成長し、11歳の長女は、父親のことを写真でしか知らない。
トフティーさんは、古くからシルクロード(Silk Road)の要衝だったカシュガル(Kashgar)で生まれ、中国政府の少数民族についての顧問となり、1991年に歴史研究のため初めて来日した。
その後、1994年に再び来日し、東京大学の大学院でアジア史を学んでいた。
ラビヤさんは、トフティーさんについて「歴史研究が大好きだった」と語る。トフティーさんは分離独立派でもなければ政治活動家でもなく、ウイグル史を研究したいだけなのだという。
96年には、中国語で『A Study of Uighur History and Culture(ウイグル歴史文化研究)』を出版した。中国では現在も入手可能だという。
しかし、98年、博士論文に必要な歴史資料の収集のため中国に帰国したラフティーさんは、国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル(Amnesty International)によると、「国家機密を不法に入手した」疑いで逮捕された。
99年に行われた非公開の裁判で、トフティーさんは禁固11年の有罪判決を下されたほか、続く2年間の投票や出版などの政治権利を剥奪(はくだつ)された。
報道によると、安倍晋三(Shinzo Abe)元首相が、中国の胡錦涛(Hu Jintao)国家主席に対し、トフティーさんの日本への出国を許可するよう要請した。また、東京大学は今もなお、トフティーさんのポストを空席にして待っているという。
ラビヤさんによると、2月10日に新疆ウイグル自治区の区都ウルムチ(Urumqi)の刑務所から出所して以降、トフティーさんは中国当局の監視下にあり、電話で話す際も慎重に話していたという。
新疆ウイグル自治区の刑務所当局高官は、AFPに対し、「その人物は2月10日に刑期を終え、北京(Beijing)へ向かった。現在の所在地については、われわれは知らない」と語った。
ラビヤさんによると、ウルムチの刑務所当局の高官は前年10月、電話でラビヤさんに子どもといっしょに中国へ帰国するよう求め、帰国するならば政府当局が家族を手厚く保護すると約束したという。
ラビヤさんは、この要請を断ったと述べ、子どもたちは日本語しか話せないと語った。ラビヤさんは、最近になって日本国籍の取得が認められた。
中国にいる夫に会いに行くつもりかと質問したところ、ラビヤさんは、それも考えたが危険を冒したくはないと語った。(c)AFP/Kyoko Hasegawa