金元死刑囚、「お母さんは生きている」
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【3月11日 AFP】北朝鮮による拉致被害者、田口八重子(Yaeko Taguchi)さんの兄・飯塚繁雄(Shigeo Iizuka)さん(70)と長男・飯塚耕一郎(Koichiro Iizuka)さん(32)と韓国・釜山(Busan)で面会した金賢姫(Kim Hyun-Hee)元死刑囚は11日、「田口さんは今も生きている」と語った。
1987年11月の大韓航空機爆破事件の実行犯で田口さんから日本語を教わっていた金賢姫(Kim Hyun-Hee)元死刑囚は、目に涙を浮かべて耕一郎さんを抱きしめた。当時22歳だった田口さんが北朝鮮に拉致された時、耕一郎さんはまだ1歳だった。金元死刑囚は耕一郎さんに対し、「本当に大きくなったね。お母さんにとてもよく似ていますね」と語り、「希望を持ちなさいよ。きっとお母さんは生きている」と励ました。
面会後の共同記者会見で、金元死刑囚は、田口さんは1986年に交通事故で死亡したとの北朝鮮政府の発表に疑問を呈し、マカオ(Macau)での「海外研修」を終え、1987年の1-10月の間に北朝鮮の工作員養成施設に戻った時には、1980年代初めに同施設で日本語を教えてくれた田口さんはいなくなっていたことを明らかにした。
金元死刑囚は、そのときに田口さんはどこか別の場所に連れて行かれたと聞いたとし、田口さんが死んではおらず、どこか別の場所に連れて行かれたとの見方を示したが、その理由については触れなかった。
日本政府に対しては、北朝鮮の面目を保ちつつ同政府の心に訴える方策を知恵を絞って見つける必要があると指摘し、日本政府がそのような方法で拉致被害者の救出に向けて努力を続ければ、奇跡が起きるかもしれないと主張。北朝鮮では死んだと言われていても、実は生きていると述べた。
一方、大韓航空機爆破事件が韓国・国家安全企画部(当時)が仕組んだ謀略だったとの「陰謀説」を否定し、大韓航空機爆破事件は間違いなく北朝鮮によるテロ行為だったと主張した。(c)AFP/Jun Kwanwoo
1987年11月の大韓航空機爆破事件の実行犯で田口さんから日本語を教わっていた金賢姫(Kim Hyun-Hee)元死刑囚は、目に涙を浮かべて耕一郎さんを抱きしめた。当時22歳だった田口さんが北朝鮮に拉致された時、耕一郎さんはまだ1歳だった。金元死刑囚は耕一郎さんに対し、「本当に大きくなったね。お母さんにとてもよく似ていますね」と語り、「希望を持ちなさいよ。きっとお母さんは生きている」と励ました。
面会後の共同記者会見で、金元死刑囚は、田口さんは1986年に交通事故で死亡したとの北朝鮮政府の発表に疑問を呈し、マカオ(Macau)での「海外研修」を終え、1987年の1-10月の間に北朝鮮の工作員養成施設に戻った時には、1980年代初めに同施設で日本語を教えてくれた田口さんはいなくなっていたことを明らかにした。
金元死刑囚は、そのときに田口さんはどこか別の場所に連れて行かれたと聞いたとし、田口さんが死んではおらず、どこか別の場所に連れて行かれたとの見方を示したが、その理由については触れなかった。
日本政府に対しては、北朝鮮の面目を保ちつつ同政府の心に訴える方策を知恵を絞って見つける必要があると指摘し、日本政府がそのような方法で拉致被害者の救出に向けて努力を続ければ、奇跡が起きるかもしれないと主張。北朝鮮では死んだと言われていても、実は生きていると述べた。
一方、大韓航空機爆破事件が韓国・国家安全企画部(当時)が仕組んだ謀略だったとの「陰謀説」を否定し、大韓航空機爆破事件は間違いなく北朝鮮によるテロ行為だったと主張した。(c)AFP/Jun Kwanwoo