タイの政治危機、深い亀裂で悪化の見通し
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【11月28日 AFP】タイ・バンコク(Bangkok)市内の国際空港2か所では、反タクシン元首相派の市民団体「民主市民連合(People's Alliance for Democracy、PAD)」支持者らによる占拠が続いているが、同国で続く政治危機には、富や地域、また王室に対する忠誠心をめぐる亀裂が根底にあり、解決するよりも暴力激化の可能性が高いと専門家らは指摘している。
「ほほ笑みの国」タイで、大規模抗議活動により空港に足止めされた旅行者らは、今回の騒動は、黄色や赤色のシャツを着た大勢の人、打ち鳴らされるプラスチック製「ハンドクラッパー」、互いに「民主主義」を主張する団体を見て、当惑するだけだっただろう。
しかしながら、タイの人々は、首都バンコクを基盤とする古参有力者と、北部貧困地域から出てきた新参政治家の間で長年繰り広げられてきた闘争が最高潮に達したものとみている。そして、海外逃亡中のタクシン・シナワット(Thaksin Shinawatra)元首相が、両者の分裂の中心にいる。
■分裂の中心はタクシン元首相
専門家のティティナン・ポンスティラック(Thitinan Pongsudhirak)氏はAFPに対し、2006年のクーデターでタクシン氏が失脚してから、分裂は激化しており、有力政治家がほかに現れる見通しがないことから、長期的な解決策が生まれる可能性は低いと指摘。「騒動が沈静化する前に、事態は悪化する」との見方を示した。
黄色をシンボルとして闘争を続けるPADは、バンコクを中心とする王室支持者、ビジネスマン、中流階級の連合団体で、腐敗したタクシン氏の代理政権とみなす新政府の転覆を目指している。黄色いTシャツとはちまきは崇拝する国王への忠誠心を示しており、君主制の存続を目指している。ただし、専門家らは、 PADは君主制よりも自分たちの利益の方を心配していると指摘する。
ティティナン氏は、北部チェンマイ(Chiang Mai)出身のタクシン氏は、2001-06年の首相在職中、精力的に地元へ経済的恩恵をもたらしたことで、「保守勢力や権力層」の怒りを買ったと説明する。
PADが2年前に行った抗議活動はクーデターを引き起こす結果となったが、07年12月に行われたクーデター後初の下院選では、タクシン派の国民の力党(People Power Party、PPP)が第1党となった。ティティナン氏は、「バンコクの保守派は何十年もタイ政界を支配しており、時代の流れに伴う変化を歓迎しない。だからタクシン氏を追い出したのだが、タクシン氏によって失われた支配力を回復できてはいない」と述べた上で、「ただし、タクシン氏も腐敗し、権力を乱用していた」と付け加えた。
PADは、議会制度について、現在の1人1票制から、全議席の約3割のみを選挙で選出し、残りの議席は任命制とするよう改正を求めている。タクシン氏の首相就任をもたらした票の買収を防止する措置だと主張する。
■「非常に分裂した社会」
一方、PADとの違いを明確にするために赤い服を着用しているタクシン元首相の支持者らは、2001年に元警察官のタクシン氏が政権に就いた後に手にした影響力を高めようとしている。
政治コメンテーターのクリス・ベーカー(Chris Baker)氏は、タイを「非常に分裂した社会」だとし、「経済的に置き去りにされ、政治的に無視されたと感じている層が拡大している。この層が過去10年で爆発した」と述べた。
■抗議活動を支持する勢力
しかし、1932年に立憲君主制に移行してから、クーデターが18回も起きたような国では、抗議活動を支持する勢力が問題を左右する。
プミポン・アドゥンヤデート(Bhumibol Adulyadej)国王は数十年にわたり、政治闘争には関与しない立憲君主としてのイメージを確立した。政治にかかわったのは1970年代と1992年に、軍独裁政権に武力制圧をやめるよう指示した時だけだ。
また、国王がタクシン氏について唯一見解を述べたのは、06年4月に行った異例の演説で、この月に行われた総選挙は民主的ではなかったことを暗に示した時のみ。この時、裁判所は直ちに選挙を無効とした。
ティティナン氏によると、抗議活動に参加し、10月7日の警官隊との衝突で死亡した人の葬儀に、シリキット王妃(Queen Sirikit)が参列していたことから、王室の中にはPADを支持している人物がいるとの推測も浮上した。
今回の空港占拠については、王室からはこれまでのところ公式声明は発表されていないが、政府と軍部は、恒例となっている来週の国王の誕生日での演説を控え、空港からの抗議活動家らの強制退去に慎重な姿勢を見せている。
ベーカー氏によると、PADは手段がより破壊的になってきたため支持が低下しており、抗議活動は今や「断末魔の苦しみ」の状態だと指摘した上で、06年のクーデターで噴出した憎しみはいまだ解消されていおらず、「事態の回復にはしばらく時間がかかるだろう」と述べた。(c)AFP/Danny Kemp
「ほほ笑みの国」タイで、大規模抗議活動により空港に足止めされた旅行者らは、今回の騒動は、黄色や赤色のシャツを着た大勢の人、打ち鳴らされるプラスチック製「ハンドクラッパー」、互いに「民主主義」を主張する団体を見て、当惑するだけだっただろう。
しかしながら、タイの人々は、首都バンコクを基盤とする古参有力者と、北部貧困地域から出てきた新参政治家の間で長年繰り広げられてきた闘争が最高潮に達したものとみている。そして、海外逃亡中のタクシン・シナワット(Thaksin Shinawatra)元首相が、両者の分裂の中心にいる。
■分裂の中心はタクシン元首相
専門家のティティナン・ポンスティラック(Thitinan Pongsudhirak)氏はAFPに対し、2006年のクーデターでタクシン氏が失脚してから、分裂は激化しており、有力政治家がほかに現れる見通しがないことから、長期的な解決策が生まれる可能性は低いと指摘。「騒動が沈静化する前に、事態は悪化する」との見方を示した。
黄色をシンボルとして闘争を続けるPADは、バンコクを中心とする王室支持者、ビジネスマン、中流階級の連合団体で、腐敗したタクシン氏の代理政権とみなす新政府の転覆を目指している。黄色いTシャツとはちまきは崇拝する国王への忠誠心を示しており、君主制の存続を目指している。ただし、専門家らは、 PADは君主制よりも自分たちの利益の方を心配していると指摘する。
ティティナン氏は、北部チェンマイ(Chiang Mai)出身のタクシン氏は、2001-06年の首相在職中、精力的に地元へ経済的恩恵をもたらしたことで、「保守勢力や権力層」の怒りを買ったと説明する。
PADが2年前に行った抗議活動はクーデターを引き起こす結果となったが、07年12月に行われたクーデター後初の下院選では、タクシン派の国民の力党(People Power Party、PPP)が第1党となった。ティティナン氏は、「バンコクの保守派は何十年もタイ政界を支配しており、時代の流れに伴う変化を歓迎しない。だからタクシン氏を追い出したのだが、タクシン氏によって失われた支配力を回復できてはいない」と述べた上で、「ただし、タクシン氏も腐敗し、権力を乱用していた」と付け加えた。
PADは、議会制度について、現在の1人1票制から、全議席の約3割のみを選挙で選出し、残りの議席は任命制とするよう改正を求めている。タクシン氏の首相就任をもたらした票の買収を防止する措置だと主張する。
■「非常に分裂した社会」
一方、PADとの違いを明確にするために赤い服を着用しているタクシン元首相の支持者らは、2001年に元警察官のタクシン氏が政権に就いた後に手にした影響力を高めようとしている。
政治コメンテーターのクリス・ベーカー(Chris Baker)氏は、タイを「非常に分裂した社会」だとし、「経済的に置き去りにされ、政治的に無視されたと感じている層が拡大している。この層が過去10年で爆発した」と述べた。
■抗議活動を支持する勢力
しかし、1932年に立憲君主制に移行してから、クーデターが18回も起きたような国では、抗議活動を支持する勢力が問題を左右する。
プミポン・アドゥンヤデート(Bhumibol Adulyadej)国王は数十年にわたり、政治闘争には関与しない立憲君主としてのイメージを確立した。政治にかかわったのは1970年代と1992年に、軍独裁政権に武力制圧をやめるよう指示した時だけだ。
また、国王がタクシン氏について唯一見解を述べたのは、06年4月に行った異例の演説で、この月に行われた総選挙は民主的ではなかったことを暗に示した時のみ。この時、裁判所は直ちに選挙を無効とした。
ティティナン氏によると、抗議活動に参加し、10月7日の警官隊との衝突で死亡した人の葬儀に、シリキット王妃(Queen Sirikit)が参列していたことから、王室の中にはPADを支持している人物がいるとの推測も浮上した。
今回の空港占拠については、王室からはこれまでのところ公式声明は発表されていないが、政府と軍部は、恒例となっている来週の国王の誕生日での演説を控え、空港からの抗議活動家らの強制退去に慎重な姿勢を見せている。
ベーカー氏によると、PADは手段がより破壊的になってきたため支持が低下しており、抗議活動は今や「断末魔の苦しみ」の状態だと指摘した上で、06年のクーデターで噴出した憎しみはいまだ解消されていおらず、「事態の回復にはしばらく時間がかかるだろう」と述べた。(c)AFP/Danny Kemp