農家の子どもから宗教指導者へ、ダライ・ラマ14世の半生
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【11月27日 AFP】生き仏としてチベット人の敬愛を集めるチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ(Dalai Lama)14世(73)。欧米社会は尊敬の眼差しでみつめるが、中国政府にとってはいまいましい存在と映る。
ダライ・ラマ14世は、1935年7月6日、チベット東北部のタクツェル(Taksar)という農村で生を受けた。ラモ・トゥンドゥプ(Lhamo Dhondrub)と名づけられたこの幼児は、2歳の時に先代ダライ・ラマの転生者と認定され、翌年、正式にダライ・ラマ14世として即位した。
1950年、チベットを自国の領土だと主張する中国の人民解放軍がチベットに進駐すると、まだ十代だったダライ・ラマは国の指導者となることを求められた。ダライ・ラマは平和維持に努めたが実らず、1959年には中国側が市民らの抵抗運動を徹底弾圧したことから、同年、兵士に変装してチベットを逃れ隣国インドに亡命した。この時、わずか24歳だった。
以来、半世紀にわたり同国北部のダラムサラ(Dharamshala)で亡命生活を送り、亡命チベット人、自治区内チベット人双方の精神的支柱としての役割を担ってきた。
また、チベット亡命政府の元首として、各国首脳にチベット支持を訴えるなど、外交舞台でも活躍する。
特に、今年3月にチベットで暴動が発生して以来、ダライ・ラマ14世が政治の表舞台に登場する機会が増している。
4月に実施された北京五輪の聖火リレーでは、リレーのルートとなった世界各地で、チベットの暴動を武力で鎮圧した中国政府への抗議活動が繰り広げられた。
中国政府は、抗議活動を扇動しているとしてダライ・ラマを非難したが、ダライ・ラマはこれを否定し、北京五輪開催への支持を示した。
チベット問題でダライ・ラマは、中国政府に、独立ではなく「高度な自治」を求め続けている。こうした非暴力によるチベット問題解決を目指す姿勢が高く評価され、ダライ・ラマ14世は1989年にノーベル平和賞を受賞している。ダライ・ラマは、「中庸」による解決策は、チベット人にとって最も益となると主張している。
ダライ・ラマとは、モンゴルの称号で「大海」を意味する言葉だという。(c)AFP
ダライ・ラマ14世は、1935年7月6日、チベット東北部のタクツェル(Taksar)という農村で生を受けた。ラモ・トゥンドゥプ(Lhamo Dhondrub)と名づけられたこの幼児は、2歳の時に先代ダライ・ラマの転生者と認定され、翌年、正式にダライ・ラマ14世として即位した。
1950年、チベットを自国の領土だと主張する中国の人民解放軍がチベットに進駐すると、まだ十代だったダライ・ラマは国の指導者となることを求められた。ダライ・ラマは平和維持に努めたが実らず、1959年には中国側が市民らの抵抗運動を徹底弾圧したことから、同年、兵士に変装してチベットを逃れ隣国インドに亡命した。この時、わずか24歳だった。
以来、半世紀にわたり同国北部のダラムサラ(Dharamshala)で亡命生活を送り、亡命チベット人、自治区内チベット人双方の精神的支柱としての役割を担ってきた。
また、チベット亡命政府の元首として、各国首脳にチベット支持を訴えるなど、外交舞台でも活躍する。
特に、今年3月にチベットで暴動が発生して以来、ダライ・ラマ14世が政治の表舞台に登場する機会が増している。
4月に実施された北京五輪の聖火リレーでは、リレーのルートとなった世界各地で、チベットの暴動を武力で鎮圧した中国政府への抗議活動が繰り広げられた。
中国政府は、抗議活動を扇動しているとしてダライ・ラマを非難したが、ダライ・ラマはこれを否定し、北京五輪開催への支持を示した。
チベット問題でダライ・ラマは、中国政府に、独立ではなく「高度な自治」を求め続けている。こうした非暴力によるチベット問題解決を目指す姿勢が高く評価され、ダライ・ラマ14世は1989年にノーベル平和賞を受賞している。ダライ・ラマは、「中庸」による解決策は、チベット人にとって最も益となると主張している。
ダライ・ラマとは、モンゴルの称号で「大海」を意味する言葉だという。(c)AFP