【1月29日 AFP】(一部更新)タイ下院で28日、次期首相に選出された「国民の力党(People Power PartyPPP)」のサマック・スンタラウェート(Samak Sundaravej)党首(72)は、2006年のクーデターで失脚したタクシン・シナワット(Thaksin Shinawatra)前首相時代の政治機構を再構築し、タクシン氏を追放した暫定政権の裏をかく巧妙さで首相の座を射止めた。

 総議席480の同下院は同日、310票の賛成でサマック氏を首相に選出した。サマック氏は王族との強いつながりを持つ一族の出身。戦闘的だがカリスマ性のある政治家として知られる。政界経験30年のらつ腕の政治家だが、今回の勝利はタクシン前首相に負うところが大きい。

■タクシン前首相の人気を活用
 
 タクシン前首相支持派のPPPの党首をサマック氏に依頼したのは、タクシン氏自身だ。PPPはサマック新党首の下、前月の下院選挙で勝利した。

 サマック氏は今後、国王の承認を受けて正式に首相に就任し、議会の3分の2を占める6党連立政権を率いることになる。サマック氏が首相になれば英国に事実上亡命しているタクシン氏にとって帰国の道が開ける。

 サマック氏は大衆迎合的なタクシン氏の存在自体を活用し、いまだ国民に人気のある同氏の帰国を確約したり、タクシン時代の急進的資本主義や地方開発の復活を掲げ、選挙での勝利を導いた。クーデター後、軍部はタクシン政権の遺産の一切を消し去ろうと注力したが、サマック氏のもくろみに阻まれた。

 サマック氏は、テレビの料理番組で快活に司会を務めるなど、その強面ぶりとは相反するかに見える経歴も持つが、通常は辛らつな語り口で有名な右派で、強硬な王制主義者とみなされている。76年に46人の死者を出した学生抗議集会に対する弾圧「血の水曜日事件」にも関与した。

 過去の軍事政権では要職を務めたこともあるが、前年クーデターを起こした暫定軍事政権については、タクシン氏を不正に追放したと非難し、加わらなかった。

■軍部、王族との関係深い新首相、不正問題も

 一時は政敵だったサマック氏とタクシン前首相の連携は、タイ国内の多くの者を驚かせた。両者は激しい応酬を交わしたために静まるよう、プミポン・アドゥンヤデート(Bhumibol Adulyadej)国王に公の場で叱責されたこともある。

 前述の76年の弾圧のほかにも、サマック氏独自が持つ暗い政治的過去は存在する。1992年5月、前回の軍事政権下で、民主化を求める抗議デモを武力鎮圧した際にもサマック氏は副首相だった。しかし同氏は常に不正行為を否定し、政治的キャリアの成功を気築いた。

 政界入りは1975年、12月の総選挙で打ち負かした民主党(Democrat Party)から、議会に初当選した。父親は王宮勤務で、サマック氏自身も内相を経験し、軍部および王族と強いつながりを持つ。国王に対するその絶対の忠誠心から、2006年9月のクーデターで中心的役割を担ったと非難を浴びている国王の最高顧問、プレム・ティンスラノン(Prem Tinsulanonda)枢密院議長と公の場で争ったこともある。

 2000年には首都バンコク(Bangkok)の市長にあたる知事に選出されたが、同市の消防車購入をめぐる不正では現在も調査が続いている。

 タクシン前首相派の「表看板」に転身を遂げたサマック氏は、自身のことを軍部の侵犯に対する民主主義の擁護者だと呼んでいる。首相に選出された後、サマック氏は「これは(2006年)9月19日に不当に自由を失ったタイ国民全員の勝利だ」と宣言した。

 前週の記者会見では「ここまで来るのに長い時間がかかった。もう何も心配することはなく、心から安心している」とサマック次期首相は述べた。(c)AFP/Griffin Shea