【1月8日 AFP】オランダ・ハーグ(Hague)の国際刑事裁判所(International Criminal CourtICC)で開かれているシエラレオネ国際戦犯法廷(Special Court for Sierra LeoneSCSL)は7日、人道に対する罪など11の罪状で起訴されているチャールズ・テーラー(Charles Taylor)リベリア元大統領(59)の公判を予定通り、6か月ぶりに再開した。

 同被告は1991年から2002年のシエラレオネ内戦中に、反政府勢力「革命統一戦線(Revolutionary United FrontRUF)」に対し、武器供与、訓練、指揮などの支援をしたとされ、見返りに戦闘資金の供給源だったダイヤモンドを受け取ったとされる。この内戦では、12万人が殺害され、さらに7000人が手足を切断された。1989年に勃発したリベリア内戦もあわせると、死者は40万人にものぼるとされる。 
 
 同被告は、有罪となった場合、生涯を英国の刑務所で暮らすことになる公算が高い。

■テーラーの生い立ち

 自ら「キリスト」を名乗っていたテーラー被告は、1977年に米国マサチューセッツ州のベントレー大学(Bentley College)で経済学の学士号を取得。1980年にサミュエル・ドウ(Samuel Doe)政権下で調達庁長官に就任した。1983年に政府資金100万ドルを横領した容疑がかけられ、逃亡先の米国で逮捕されたものの、16か月後に逃走した。

 同被告が再び表舞台に登場するのは1989年12月。反政府組織リベリア国民愛国戦線(National Patriotic Front of LiberiaNPFL)を結成し、サミュエル・ドウ政権に対し武装蜂起して内戦が勃発した。NPFLはリビアとブルキナファソの支援を受けていたとされ、過酷な拷問と少年兵の強制的な徴用で知られる。

 1997年には、リベリア内戦を引き起こした張本人であるにもかかわらず、テーラーが大統領に選出された。1999年には、別の反政府勢力との対立が激化し、再び内戦化したが、2003年8月、国際非難に屈する形で政権を降り、ナイジェリアに亡命した。

 テーラーは海岸の別荘で、高級車をあてがわれ、ひっそりと暮らしていたが、ナイジェリア政府は2006年3月、国際社会の圧力を受けてテーラーを拘束し、リベリアに送還した。同法廷は、シエラレオネでの裁判は同地域の治安悪化を招きかねないとして、国際刑事裁判所での裁判を要請し、身柄がハーグに移された。

 同被告の家族によると、テーラーは、拘置所の中で聖書や政治小説を読んだり、近く出版される本を書いたりして過ごしているという。(c)AFP