誰がブット氏を殺したか? 迷宮入りのパキスタン暗殺史
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【1月1日 AFP】パキスタンの流血の歴史にみられるほかの暗殺事件同様、「故ベナジル・ブット(Benazir Bhutto)元首相を殺したのは誰か」という問いの答えを世界が知ることはないだろう。しかし、疑惑がもたれる人物やグループの存在には事欠かないと観測筋は述べている。
同様に、暗殺の動機についてもいくらでもあるという。パキスタンでは複数の情報機関、数十のイスラム武装勢力、数百の部族、さらにパキスタンの暮らしの隅々に浸透する陸軍などが密かに重なり合っている。
パキスタン政府は犯行者として早々に国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)を名指ししたが、政治評論家らは「アルカイダは様々な戦闘的グループをひとまとめに語る際に便利なだけで、実情はもっと複雑だ」と指摘する。
■パキスタン政府自体への疑惑
パキスタン政府自身、分離独立運動の続くカシミール(Kashmir)地方における戦闘訓練や、隣国アフガニスタンの有力者に影響を与えようと試みる中でイスラム武装勢力とのつながりを持つことから、国家機構自体への疑惑はぬぐいきれないと専門家らはいう。
元パンジャブ大学(Punjab University)政治学部部長で政治評論家のハサン・アスカリ(Hasan Askari)氏は「情報機関内部の人間が武装勢力やさまざまな宗派とつながりを持っているというのは、旧ソ連のアフガニスタン侵攻時から常識だ」と語る。
同氏は「パキスタンが世界規模の『テロとの戦い』に参加した後でも、そうした機関の工作員が武装勢力とのつながりを完全に断ち切ったかどうかは疑わしい」という。
パキスタンの3つの情報関連機関の指導者たちは全員、現在または過去に軍への所属歴がある人物だ。パキスタン独立以来、歴史の半分は軍事政権が統治してきた。パキスタン軍はまたブット一族との因縁もある。
■国家支配が及ばないイスラム武装勢力
今年10月、パキスタン史上最悪の犠牲者を出したテロ攻撃で死傷をまぬがれた故ブット氏は、軍事独裁者ジアウル・ハク(Zia-ul-Haq)大統領時代の残存勢力に非難の矛先を向けた。ハク大統領は1977年、当時首相だった故ブット氏の父を軍事クーデターで追放し、2年後に絞首刑に処した。
ペルベズ・ムシャラフ(Pervez Musharraf)大統領も1999年、軍事クーデターで権力を掌握。国際社会からの強い圧力により約1か月前に軍職を辞するまでは陸軍参謀長だった。
しかし、米国同時多発テロ後、米国の同盟国となることを選択したムシャラフ大統領の決断は、イスラム強硬派を憤らせた。国内の混乱を助長してあらゆる利得を得ているイスラム強硬派には、国家の支配力が及んでいない。
政府の対テロリズム担当高官は「彼らの目的はパキスタンをイスラム過激派の課題を安全に実行できる場所にすることだ」という。「その行動計画は指導者を抹殺し、標的を攻撃することで国家機関の弱体化を狙っている。長期的にはパキスタンを不安定化し、自分たちが自由に動きまわることのできる余地を作ることだ」
■反ブットで一致したアルカイダ関連勢力
パキスタン国内の武装勢力に加え、指導者ウサマ・ビン・ラディン(Osama bin Laden)容疑者を含むアルカイダの中でも特に強硬なアラブ人指導者たちが、2001年11月以降アフガニスタンから逃れ、パキスタン北部の部族地域を拠点としている。
アルカイダはこの山岳地帯から、2回におよぶムシャラフ大統領暗殺計画や2005年7月7日のロンドン地下鉄自爆テロ事件などを計画してきた。
アルカイダ関連の武装勢力は多様で目標も異なるが、大衆受けし親米的立場を表明してきた故ブット氏はいずれの目標達成の障害にもなることから、同氏に対する嫌悪によって団結していたという。
■不透明な政府の死因説明
ブット氏暗殺により、過激な勢力を支配下に置いたと保証したムシャラフ大統領の言葉は覆された。ラホール大学(Lahore University)のRasul Baksh Rais氏(経営科学部)は、「ブット氏暗殺により政府が得るものはないとしても、それで政府が責任を逃れることはできない。ムシャラフ政権は多くの問いに答える義務がある」と批判する。
ブット氏の死因は車両のサンルーフに頭部をぶつけたためという政府の説明は、ブット氏が総裁だった野党パキスタン人民党(Pakistan People’s Party、PPP)議会派によって即座に否定された。死因についても政府が説明すべき点は多く残る。
■疑惑の解けないパキスタンの歴史
パキスタンのこれまでの歴史では、こうした疑惑は解かれてこなかった。故ハク大統領、ブット氏の兄弟の故ムルタザ・ブット(Murtaza Bhutto)と故Shahnawaz Bhuttoの両氏、さらに故リアカト・アリ・カーン(Liaqat Ali Khan)初代首相のいずれも不審な状況で死んでおり、それらの死をめぐってはいまだに議論が続いている。
前述のアスカリ氏は「知名度の高い政治家の暗殺の過去の記録を考えると、ブット氏暗殺の調査によって真犯人が明かされることは期待できない」と述べる。「こうした殺人は解決されない。永遠に謎のままだ」。(c)AFP/Rana Jawad
同様に、暗殺の動機についてもいくらでもあるという。パキスタンでは複数の情報機関、数十のイスラム武装勢力、数百の部族、さらにパキスタンの暮らしの隅々に浸透する陸軍などが密かに重なり合っている。
パキスタン政府は犯行者として早々に国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)を名指ししたが、政治評論家らは「アルカイダは様々な戦闘的グループをひとまとめに語る際に便利なだけで、実情はもっと複雑だ」と指摘する。
■パキスタン政府自体への疑惑
パキスタン政府自身、分離独立運動の続くカシミール(Kashmir)地方における戦闘訓練や、隣国アフガニスタンの有力者に影響を与えようと試みる中でイスラム武装勢力とのつながりを持つことから、国家機構自体への疑惑はぬぐいきれないと専門家らはいう。
元パンジャブ大学(Punjab University)政治学部部長で政治評論家のハサン・アスカリ(Hasan Askari)氏は「情報機関内部の人間が武装勢力やさまざまな宗派とつながりを持っているというのは、旧ソ連のアフガニスタン侵攻時から常識だ」と語る。
同氏は「パキスタンが世界規模の『テロとの戦い』に参加した後でも、そうした機関の工作員が武装勢力とのつながりを完全に断ち切ったかどうかは疑わしい」という。
パキスタンの3つの情報関連機関の指導者たちは全員、現在または過去に軍への所属歴がある人物だ。パキスタン独立以来、歴史の半分は軍事政権が統治してきた。パキスタン軍はまたブット一族との因縁もある。
■国家支配が及ばないイスラム武装勢力
今年10月、パキスタン史上最悪の犠牲者を出したテロ攻撃で死傷をまぬがれた故ブット氏は、軍事独裁者ジアウル・ハク(Zia-ul-Haq)大統領時代の残存勢力に非難の矛先を向けた。ハク大統領は1977年、当時首相だった故ブット氏の父を軍事クーデターで追放し、2年後に絞首刑に処した。
ペルベズ・ムシャラフ(Pervez Musharraf)大統領も1999年、軍事クーデターで権力を掌握。国際社会からの強い圧力により約1か月前に軍職を辞するまでは陸軍参謀長だった。
しかし、米国同時多発テロ後、米国の同盟国となることを選択したムシャラフ大統領の決断は、イスラム強硬派を憤らせた。国内の混乱を助長してあらゆる利得を得ているイスラム強硬派には、国家の支配力が及んでいない。
政府の対テロリズム担当高官は「彼らの目的はパキスタンをイスラム過激派の課題を安全に実行できる場所にすることだ」という。「その行動計画は指導者を抹殺し、標的を攻撃することで国家機関の弱体化を狙っている。長期的にはパキスタンを不安定化し、自分たちが自由に動きまわることのできる余地を作ることだ」
■反ブットで一致したアルカイダ関連勢力
パキスタン国内の武装勢力に加え、指導者ウサマ・ビン・ラディン(Osama bin Laden)容疑者を含むアルカイダの中でも特に強硬なアラブ人指導者たちが、2001年11月以降アフガニスタンから逃れ、パキスタン北部の部族地域を拠点としている。
アルカイダはこの山岳地帯から、2回におよぶムシャラフ大統領暗殺計画や2005年7月7日のロンドン地下鉄自爆テロ事件などを計画してきた。
アルカイダ関連の武装勢力は多様で目標も異なるが、大衆受けし親米的立場を表明してきた故ブット氏はいずれの目標達成の障害にもなることから、同氏に対する嫌悪によって団結していたという。
■不透明な政府の死因説明
ブット氏暗殺により、過激な勢力を支配下に置いたと保証したムシャラフ大統領の言葉は覆された。ラホール大学(Lahore University)のRasul Baksh Rais氏(経営科学部)は、「ブット氏暗殺により政府が得るものはないとしても、それで政府が責任を逃れることはできない。ムシャラフ政権は多くの問いに答える義務がある」と批判する。
ブット氏の死因は車両のサンルーフに頭部をぶつけたためという政府の説明は、ブット氏が総裁だった野党パキスタン人民党(Pakistan People’s Party、PPP)議会派によって即座に否定された。死因についても政府が説明すべき点は多く残る。
■疑惑の解けないパキスタンの歴史
パキスタンのこれまでの歴史では、こうした疑惑は解かれてこなかった。故ハク大統領、ブット氏の兄弟の故ムルタザ・ブット(Murtaza Bhutto)と故Shahnawaz Bhuttoの両氏、さらに故リアカト・アリ・カーン(Liaqat Ali Khan)初代首相のいずれも不審な状況で死んでおり、それらの死をめぐってはいまだに議論が続いている。
前述のアスカリ氏は「知名度の高い政治家の暗殺の過去の記録を考えると、ブット氏暗殺の調査によって真犯人が明かされることは期待できない」と述べる。「こうした殺人は解決されない。永遠に謎のままだ」。(c)AFP/Rana Jawad