故ブット氏の後継選び、19歳の子息と夫が有力候補
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【12月30日 AFP】(1月3日 一部訂正)暗殺された故ベナジル・ブット(Benazir Bhutto)パキスタン元首相が総裁を務めた野党パキスタン人民党(Pakistan People's Party、PPP)の後継指導者選びで、有力候補としてブット氏の子息と夫の動向が注目されている。同党は30日、後継者を決定するとみられている。
古参のブット氏側近によると、ブット氏の子息はまだ大学在学中の19歳で、現時点での政界入りに前向きではないという。そのため子息が十分な年齢に達するまで、ブット氏の夫アシフ・ザルダリ(Asif Ali Zardari)氏(51)が同党を実質的に主導するのではないかとの憶測が広がっている。
いずれにせよ、ブット氏の息子は夫ともにPPPの主要人物としてとどまるとみられる。同党は約40年前、故ブット氏の父親が創設し、現在パキスタンの最大野党。ブット氏暗殺後、パキスタン国内情勢は同党支持者による抗議活動で混乱している。
■子息ビラワル氏は19歳のオックスフォード大生
故ブット氏の長男、ビラワル・ブット(Bilawal Bhutto)氏は、1988年9月生まれ。現在19歳だが血塗られた政治家の家系、ブット一族の遺産が重く肩にかかる。PPPの総裁に選出されれば、祖父の故ズルフィカル・アリ・ブット(Zufilqar Ali Bhutto)PPP元総裁、前週暗殺された母に続き、PPP3人目の指導者となる。PPPを創設した祖父のブット氏は1979年、戒厳令下で処刑されている。
ビラワル氏は今年、英国のオックスフォード大学に入学し、すでに母の後を追う姿勢を見せている。故ブット氏は同大の由緒ある討論部、オックスフォード・ユニオン(Oxford Union)で部長だった。ビラワル氏が誕生して1か月後、故ブット氏は総選挙で軍事独裁者ジアウル・ハク(Zia-ul-Haq)大統領を破り、パキスタン初の女性指導者に就任した。
ブット氏は自伝の中でビラワル氏が誕生した時について描写している。「私は眠りに戻ったが、病院の外で放たれた祝砲の音で目を覚ました。太鼓の音が鳴り響き、ブット万歳の大歓声が聞こえた。パキスタン歴史上、最も祝福され、政治的に最も議論を呼ぶ子どもが誕生したのだ」
1999年にブット氏が亡命した際、ビラワル氏と2人の妹と逃れ、ロンドン(London)とアラブ首長国連邦のドバイ(Dubai)を行き来して過ごした。地元紙によると、ビラワル氏は射撃や乗馬などのアウトドア・スポーツに熱中しているという。
28日に行われたブット氏の葬儀では悲しみを抑え、平静を保つ姿が報道されたが、党を率いるにはビラワル氏は若すぎると観測筋は指摘する。政治評論家のTalat Masood退役将校は「ビラワル氏はわずか19歳でまだ準備が必要。まずは教育課程を修了させるべきだ」と述べた。
■夫ザルダリ氏は汚職で服役8年
一方、故ブット氏の夫アシフ・ザルダリ氏は、パキスタン南部の地方部シンド(Sindh)州Nawabshahで、1956年7月21日に生まれた。ブット氏が首相在任中に訴追された汚職事件でリベートを受け取っていたとの疑いから、パキスタン国民に「ミスター10%」と呼ばれるようにもなった。プレイボーイから悪役、そして現在は政治家の妻を亡くして悲しむ夫という立場だ。
政治家一族の令嬢ブット氏と結婚したのは1987年、ザルダリ氏が31歳のときだった。ポロ選手を輩出したシンド州の地主一族の子息だが、当時はほとんど知られていなかった。高校はペルベズ・ムシャラフ(Pervez Musharraf)大統領の母校でもある商業都市カラチ(Karachi)の聖パトリック・スクールに通った。陸軍が運営し、厳格な規律と管理教育で知られるPetaro Cadet大学(Petaro Cadet College)を1972年に卒業した。
ブット氏と見合いで結婚した後、ザルダリ氏はブット政権2期の間に、徐々に政治的に影響力のある立場を築いていった。しかし汚職、殺人、密輸など17件の罪で訴追され、1996年、第2期目のブット氏が解任されると数時間も経たぬうちに収監された。8年間服役したが、うち5年間はブット氏と子どもたちは亡命していた。2004年11月に保釈された。
同氏のサラブレッド馬の飼育熱は有名だが、これが問題となったこともある。訴追された罪状のひとつは、イスラマバード(Islamabad)の首相官邸内に国家の資金で高価な馬舎を維持していたというものだった。
前述のMasood退役将校は「ザルダリ氏の過去は非常に汚れている。彼自身、党指導者として自分が適任だとは思わないだろう。誰か古参の幹部に党の指導を任せるだろう。そのほうがPPPにとってもザルダリ氏自身にとってもよいだろう」とみている。(c)AFP/Sami Zubeiri
古参のブット氏側近によると、ブット氏の子息はまだ大学在学中の19歳で、現時点での政界入りに前向きではないという。そのため子息が十分な年齢に達するまで、ブット氏の夫アシフ・ザルダリ(Asif Ali Zardari)氏(51)が同党を実質的に主導するのではないかとの憶測が広がっている。
いずれにせよ、ブット氏の息子は夫ともにPPPの主要人物としてとどまるとみられる。同党は約40年前、故ブット氏の父親が創設し、現在パキスタンの最大野党。ブット氏暗殺後、パキスタン国内情勢は同党支持者による抗議活動で混乱している。
■子息ビラワル氏は19歳のオックスフォード大生
故ブット氏の長男、ビラワル・ブット(Bilawal Bhutto)氏は、1988年9月生まれ。現在19歳だが血塗られた政治家の家系、ブット一族の遺産が重く肩にかかる。PPPの総裁に選出されれば、祖父の故ズルフィカル・アリ・ブット(Zufilqar Ali Bhutto)PPP元総裁、前週暗殺された母に続き、PPP3人目の指導者となる。PPPを創設した祖父のブット氏は1979年、戒厳令下で処刑されている。
ビラワル氏は今年、英国のオックスフォード大学に入学し、すでに母の後を追う姿勢を見せている。故ブット氏は同大の由緒ある討論部、オックスフォード・ユニオン(Oxford Union)で部長だった。ビラワル氏が誕生して1か月後、故ブット氏は総選挙で軍事独裁者ジアウル・ハク(Zia-ul-Haq)大統領を破り、パキスタン初の女性指導者に就任した。
ブット氏は自伝の中でビラワル氏が誕生した時について描写している。「私は眠りに戻ったが、病院の外で放たれた祝砲の音で目を覚ました。太鼓の音が鳴り響き、ブット万歳の大歓声が聞こえた。パキスタン歴史上、最も祝福され、政治的に最も議論を呼ぶ子どもが誕生したのだ」
1999年にブット氏が亡命した際、ビラワル氏と2人の妹と逃れ、ロンドン(London)とアラブ首長国連邦のドバイ(Dubai)を行き来して過ごした。地元紙によると、ビラワル氏は射撃や乗馬などのアウトドア・スポーツに熱中しているという。
28日に行われたブット氏の葬儀では悲しみを抑え、平静を保つ姿が報道されたが、党を率いるにはビラワル氏は若すぎると観測筋は指摘する。政治評論家のTalat Masood退役将校は「ビラワル氏はわずか19歳でまだ準備が必要。まずは教育課程を修了させるべきだ」と述べた。
■夫ザルダリ氏は汚職で服役8年
一方、故ブット氏の夫アシフ・ザルダリ氏は、パキスタン南部の地方部シンド(Sindh)州Nawabshahで、1956年7月21日に生まれた。ブット氏が首相在任中に訴追された汚職事件でリベートを受け取っていたとの疑いから、パキスタン国民に「ミスター10%」と呼ばれるようにもなった。プレイボーイから悪役、そして現在は政治家の妻を亡くして悲しむ夫という立場だ。
政治家一族の令嬢ブット氏と結婚したのは1987年、ザルダリ氏が31歳のときだった。ポロ選手を輩出したシンド州の地主一族の子息だが、当時はほとんど知られていなかった。高校はペルベズ・ムシャラフ(Pervez Musharraf)大統領の母校でもある商業都市カラチ(Karachi)の聖パトリック・スクールに通った。陸軍が運営し、厳格な規律と管理教育で知られるPetaro Cadet大学(Petaro Cadet College)を1972年に卒業した。
ブット氏と見合いで結婚した後、ザルダリ氏はブット政権2期の間に、徐々に政治的に影響力のある立場を築いていった。しかし汚職、殺人、密輸など17件の罪で訴追され、1996年、第2期目のブット氏が解任されると数時間も経たぬうちに収監された。8年間服役したが、うち5年間はブット氏と子どもたちは亡命していた。2004年11月に保釈された。
同氏のサラブレッド馬の飼育熱は有名だが、これが問題となったこともある。訴追された罪状のひとつは、イスラマバード(Islamabad)の首相官邸内に国家の資金で高価な馬舎を維持していたというものだった。
前述のMasood退役将校は「ザルダリ氏の過去は非常に汚れている。彼自身、党指導者として自分が適任だとは思わないだろう。誰か古参の幹部に党の指導を任せるだろう。そのほうがPPPにとってもザルダリ氏自身にとってもよいだろう」とみている。(c)AFP/Sami Zubeiri