【ロンドン/英国 15日 AFP】フランスの故ギ・モレ(Guy Mollet)首相(1956-57年在任)が英国政府に対し、英仏両国の合併を提案していたことが発覚した。英BBC放送のラジオ・リポーター、マイク・トンプソン(Mike Thompson)氏の番組が、公開された当時の機密文書に基づき15日に報じた。

 英国立公文書館に保管されていた英仏合併案に関する元機密文書によると、1956年9月10日に当時のアンソニー・エデン(Anthony Eden)英首相とモレ首相の英仏首脳会談で、モレ首相がエリザベス女王(Queen Elizabeth II)を国家元首とする英仏「縁組み案」を提案した。

 この提案について当時の英内閣の閣議文書は、「フランス首相モレ氏が最近ロンドンを訪問した際、(エデン)首相に対し、連合王国(英)とフランスの合併を提起した」と記している。

 フランスは同時期、激化する第二次中東戦争(スエズ危機)に直面し、他方では1954年に開始されたアルジェリア戦争ではエジプトの故ガマル・アブデル・ナセル(Gamel Abdel Nasser)大統領に資金援助を受けていた分離独立派に脅かされていた。

 社会党指導者だった故モレ仏首相の「英国びいき」は有名で、また同首相は「ゆりかごから墓場まで」と言われた当時の英国の福祉制度の崇拝者だった。また、スエズ危機、アルジェリア戦争の両局面で、エジプトのナセル大統領への反撃を熱望していた。

 また、フランスはイスラエルの同盟国だったが、英国はヨルダンと同盟関係にあり、モレ首相としてはイスラエルとヨルダン国境の緊張が高まる中、英仏軍の衝突を避けたい意図もあった。こうした背景から、英国政府の支援を確実にするため、「合併提案」の決心をしたとBBCは報じた。

 文書によると、エデン英首相はモレ仏首相の合併案を拒否したが、モレ首相は第2の案を用意していた。英連邦にフランスを加えてもらえないか、という打診をエデン首相のパリ訪問時に投げかけたのである。英連邦の中の1か国となっていれば、1789年に流血の革命を経て王政から共和制へ移行したフランスの事実上の国家元首は女王となり、王政復古となるはずだった。

 1956年9月28日の文書からは、エデン英首相が閣議の中でモレ首相の打診について、内閣府長官だったノーマン・ブルーク卿(Sir Norman Brook)と熱心に協議したことがうかがわれる。

「首相はフランス側との会談内容を受け、私に考えを告げた。フランスの英連邦加入について、早急に検討すべきだと」

「またモレ氏は、フランスが女王陛下を元首として受け入れることは難しい、とは考えたことはないそうだ」

「フランス人はアイルランドに相当する立場での市民権を歓迎するだろうと考えている」

 しかし、モレ首相の提案はその後、取り上げられることなく忘れられてしまったようだ。仏側の国立公文書館では対話に関する記録は何も発見できなかったとBBCは付け加えている。英国側の文書は約20年前に機密解除されていたが、「ほとんど気にもとめられないまま」公文書館に眠っていた。

 モレ首相が英国に合併を提案した翌1957年、フランスは英国ではなく、ドイツとローマ条約を調印、現在の欧州連合(EU)への道を開いた欧州経済共同体(EEC)が設立された。

 写真は1956年3月11日、ロンドンでのエデン首相(左)とモレ首相。(c)AFP/INTERCONTINENTALE