【10月5日 AFP】ミャンマーの軍事政権に対する僧侶や市民らの抗議デモに、世界中の仏教徒の支持が集まっている。チベットやベトナムなど国家による仏教弾圧に無縁でない国の指導者らもミャンマーの「同志」らに対する強い支持を表明している。

 ミャンマーの最大都市ヤンゴン(Yangon)では前週拡大した抗議デモに対し、軍事政権が武力鎮圧に乗り出した。僧侶たちが兵士からの施しを拒み始め、政権への反対を唱え行進を続ると、軍は僧侶たちを撃ち、殴り、催涙ガスで狙い、拘束した。ヤンゴン中心部の窓のない収容施設からは今週、僧衣を剥ぎ取られた僧侶たちの祈りの声が聞こえてきている。同時に世界中の都市では、ミャンマーの僧侶たちを支持する人々が抗議集会を続け、彼らのために祈っている。

 社会的危機の際に、僧侶たちが世俗の事柄に関与する例はアジアに少なくなく、今回のミャンマーの僧侶たちのデモは、アジア各国の反植民地闘争での仏教徒による非暴力運動や、ベトナム戦争に抗議して焼身自殺した僧侶たちを思い起こさせる。
 
■ダライ・ラマ14世が真っ先に「サフラン革命」を支持

 ミャンマーの僧侶たちの僧衣の色にちなみ、世界では今回の抗議行動を「サフラン革命」と呼ぶ動きが出てきている。

 その「サフラン革命」に真っ先に支持を表明したのは、インドに亡命中のチベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ(Dalai Lama)14世(72)だ。ダライ・ラマは「自由と民主主義を求める彼らの声を心から支持する。この機会に、世界の自由を愛する人たちへも、こうした非暴力行動への支持を訴えたい。仏教僧として、(ミャンマーの)仏教を信じる軍事政権のメンバーにも、慈悲と非暴力の精神で、神聖な教えに従い行動するように求めたい」と声明を発表し、僧侶らを弾圧している軍事政権にも呼びかけた。

 また、仏教の教えに従い非暴力による抵抗運動を続けてきたミャンマーの民主化活動家、アウン・サン・スー・チー(Aung San Suu Kyi)さんが早期に拘束を解かれるよう祈ったとも語った。

 1959年のチベット動乱で中国の人民解放軍の弾圧を受け、チベット自治区から数千人の仏教徒とともに亡命したダライ・ラマ自身、ミャンマーの僧侶たちの苦境を十分に理解しているといえるだろう。

■ベトナム僧の抵抗の歴史

 ベトナムの僧侶たちもまた、政治的抵抗の歴史を持っている。

 有名な例は1963年、米国の手先とされたゴ・ジン・ジェム(Ngo Dinh Diem)政権による仏教徒弾圧に抗議し、サイゴン(現ホーチミン)市の路上で焼身自殺したティック・クアン・ドック(Thich Quang Duc)師だ。

 近年では、非合法とされたベトナム統一仏教協会(Unified Buddhist Church of VietnamUBCV)が、立ち退きを強制された農民たちの抗議に加わって財政支援も行い政府と衝突、国営の報道機関から激しい非難を浴びた。ノーベル平和賞候補にもなっている同協会の副会長、Thich Quang Do師(79)は自身の僧院からミャンマーで抗議する人々へ向けて、共通の戦いだと励ますメッセージを送り続けている。

 「約200年にわたり、ビルマ(ミャンマー)とベトナムの人々は植民支配の下、同じ運命を分かち合ってきた。信仰と聖職者に対する弾圧の歴史だ。また過去数十年間は、軍や全体主義独裁体制による抑圧の歴史だ。われわれはともに生と自由の権利を切望し一緒に戦う」とDo師は書き送っている。


■「社会参加仏教」の戦い

 軍事クーデター前はビルマとして知られていたミャンマーで、仏教の僧侶らによる戦いの歴史は古い、とDo師は指摘する。「19世紀に英国がビルマを征服した際には、英政府は仏教の最高指導者の役割を廃止した。仏教徒らの信仰を破壊するために聖職は剥奪された」という。

 その時、「外国の侵略に立ち上がったのは僧侶や尼僧たちだ。多くが拘束され、牢に入れられた。独立、自由、そして仏教に献身し、英国の牢で多くが死んだ」。

 仏教の教えは個人の精神的啓発を追求するもので、世俗的な事柄からは隔絶されているとみなされることが多い。しかし、亡命しているベトナムの僧、ティク・ナット・ハン(Thich Nhat Hanh)師などは活動家として、仏教の社会参加を訴えてきた。

 タイの仏教社会活動家で、「社会参加仏教(Socially Engaged Buddhism)」の著者であるスラク・シワラク(Sulak Sivaraksa)氏は「仏教は今生のためのものであり、この社会のためのものだ」と言う。「来世のことに専心することは逃避であって、仏教ではない。仏教は”目覚め”を得るためのものだ」。

 「社会参加仏教」は英語による新語だと同氏は言う。しかし「仏教が説いていることは、自分が自分のことを気にかける以上に、他人を思いやること。そしてそのすべての段階を非暴力で貫くこと、これが本質だ」と語った。(c)Frank Zeller