900年前のアフリカ硬貨がひも解くオーストラリア史
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【8月23日 AFP】900年前のアフリカで流通していた硬貨が、なぜ遠く離れたオーストラリア大陸にたどり着いたのか――この謎を解く過程で、南半球の大陸と外界との交流史が改められるとともに、先住民アボリジニ(Aboriginal)のロックアート(岩石画)にも光が当てられている。
現在のタンザニアにあたるアフリカ東部キルワ(Kilwa)王国で1100年ごろに製造されたとみられる硬貨は、オーストラリア北部特別地域(Northern Territory、北部準州)沖のウェッセル諸島(Wessels Islands)で1944年に見つかったものだ。以来、遠い異国の硬貨がオーストラリア沿岸にたどり着いた経緯は謎のままだった。
だが、米インディアナ大学パデュー大学インディアナポリス校(Indiana University-Purdue University Indianapolis、IUPUI)のイアン・マッキントッシュ(Ian McIntosh)教授(人類学)は、ウェッセル諸島で見つかったアボリジニのロックアートにヨーロッパの帆船が描かれていることを発見。これが硬貨の謎を解く鍵となるのではと期待している。
キルワ王国の硬貨は第2次世界大戦下、太平洋での戦況が激化する中、ウェッセル諸島に駐屯していたオーストラリア空軍のレーダー技師、モーリー・アイゼンバーグ(Maurie Isenberg)氏が、浜辺で見つけた。発見したのはアフリカの銅貨5枚とオランダ硬貨4枚の計9枚。オランダ硬貨はアフリカ硬貨ほど古くはなかった。
アイゼンバーグ氏は当初、硬貨を売却するつもりだったが買い手が見つからず、そのまま何十年も放置していた。硬貨を見つけた場所の地図を添えて博物館に鑑定を依頼したのは、ようやく1979年になってからだった。
キルワ硬貨についてマッキントッシュ教授は、「難破した船から流され、漂着した」など複数の仮説を立てている。
ヨーロッパの船乗りたちが17世紀にオーストラリア沿岸を航海していたことは知られている。だが英国がオーストラリアの領有を宣言したのは1770年、シドニー(Sydney)のボタニー湾(Botany Bay)に探検家ジェームズ・クック(James Cook)が上陸したときだ。
キルワ硬貨の発見は、はるか中東やアフリカからオーストラリア北部を訪れる船乗りがいたのではないかとの憶測を呼んだ。
これについてマッキントッシュ教授は豪学術誌「Australian Folklore(オーストラリア民俗学)」に寄せた論文の中で、東アフリカのキルワからオマーンを経由してインドやマレーシア、オーストラリアの隣国のインドネシアに向かう航路は16世紀までに確立されていたと指摘。この航路が、さらに数百年前から使われていた可能性もあるという。
教授は1つの仮説として、キルワ硬貨は乗っていた船が難破してウェッセル諸島に流れ着いたインドネシア人が持っていたのではないかとの見方を示している。
マッキントッシュ教授は7月にも現地を調査し、険しい地形の一帯を徹底的に探索したが、新たな硬貨は見つからなかった。ただし代わりにアボリジニのロックアートと、難破船説の手がかりとなりそうな長さ約1.8メートルの船の木片を発見した。ウェッセル諸島沖に険しい岩礁があることを考えれば、船の難破はあり得ない話ではない。
マッキントッシュ教授は、見つかったロックアートを先住民の人々と共に検証し、木片についても既知の船で一致する型があるかどうか調べる計画だと語った。過去に「アボリジニではない、どこからかやってきた黒人や白人たち」と交流があったという話は数多くあるという。
マッキントッシュ教授は、キルワ硬貨が価値を持っていたのはアフリカ東部だけだとみている。これまでにジンバブエとオマーンで同様の硬貨が見つかっているが、アフリカ以外にキルワ硬貨が発見されたのは世界でもオーストラリア北部だけで「非常に特異なこと。誰もが不思議に思っている」という。(c)AFP/Madeleine COOREY
現在のタンザニアにあたるアフリカ東部キルワ(Kilwa)王国で1100年ごろに製造されたとみられる硬貨は、オーストラリア北部特別地域(Northern Territory、北部準州)沖のウェッセル諸島(Wessels Islands)で1944年に見つかったものだ。以来、遠い異国の硬貨がオーストラリア沿岸にたどり着いた経緯は謎のままだった。
だが、米インディアナ大学パデュー大学インディアナポリス校(Indiana University-Purdue University Indianapolis、IUPUI)のイアン・マッキントッシュ(Ian McIntosh)教授(人類学)は、ウェッセル諸島で見つかったアボリジニのロックアートにヨーロッパの帆船が描かれていることを発見。これが硬貨の謎を解く鍵となるのではと期待している。
キルワ王国の硬貨は第2次世界大戦下、太平洋での戦況が激化する中、ウェッセル諸島に駐屯していたオーストラリア空軍のレーダー技師、モーリー・アイゼンバーグ(Maurie Isenberg)氏が、浜辺で見つけた。発見したのはアフリカの銅貨5枚とオランダ硬貨4枚の計9枚。オランダ硬貨はアフリカ硬貨ほど古くはなかった。
アイゼンバーグ氏は当初、硬貨を売却するつもりだったが買い手が見つからず、そのまま何十年も放置していた。硬貨を見つけた場所の地図を添えて博物館に鑑定を依頼したのは、ようやく1979年になってからだった。
キルワ硬貨についてマッキントッシュ教授は、「難破した船から流され、漂着した」など複数の仮説を立てている。
ヨーロッパの船乗りたちが17世紀にオーストラリア沿岸を航海していたことは知られている。だが英国がオーストラリアの領有を宣言したのは1770年、シドニー(Sydney)のボタニー湾(Botany Bay)に探検家ジェームズ・クック(James Cook)が上陸したときだ。
キルワ硬貨の発見は、はるか中東やアフリカからオーストラリア北部を訪れる船乗りがいたのではないかとの憶測を呼んだ。
これについてマッキントッシュ教授は豪学術誌「Australian Folklore(オーストラリア民俗学)」に寄せた論文の中で、東アフリカのキルワからオマーンを経由してインドやマレーシア、オーストラリアの隣国のインドネシアに向かう航路は16世紀までに確立されていたと指摘。この航路が、さらに数百年前から使われていた可能性もあるという。
教授は1つの仮説として、キルワ硬貨は乗っていた船が難破してウェッセル諸島に流れ着いたインドネシア人が持っていたのではないかとの見方を示している。
マッキントッシュ教授は7月にも現地を調査し、険しい地形の一帯を徹底的に探索したが、新たな硬貨は見つからなかった。ただし代わりにアボリジニのロックアートと、難破船説の手がかりとなりそうな長さ約1.8メートルの船の木片を発見した。ウェッセル諸島沖に険しい岩礁があることを考えれば、船の難破はあり得ない話ではない。
マッキントッシュ教授は、見つかったロックアートを先住民の人々と共に検証し、木片についても既知の船で一致する型があるかどうか調べる計画だと語った。過去に「アボリジニではない、どこからかやってきた黒人や白人たち」と交流があったという話は数多くあるという。
マッキントッシュ教授は、キルワ硬貨が価値を持っていたのはアフリカ東部だけだとみている。これまでにジンバブエとオマーンで同様の硬貨が見つかっているが、アフリカ以外にキルワ硬貨が発見されたのは世界でもオーストラリア北部だけで「非常に特異なこと。誰もが不思議に思っている」という。(c)AFP/Madeleine COOREY