チェスが与える希望、ウガンダのスラムの子供たち
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【2月9日 AFP】ウガンダの首都カンパラ(Kampala)郊外カトウェ(Katwe)の荒れた地区で、目の前のチェス盤に見入ってしばし考える少女がいる。フィオナ・ムテシ(Phiona Mutesi)さんだ。「チェスで私の人生は変わりました。前は希望なんてなかったけど今はある。お医者さんにだって、『グランドマスター』にだってなれる」
まだよちよち歩きのころに父親が亡くなり、生活はずっと苦しかった。しかしフィオナさんは路上の子供から、16歳にして世界レベルのチェスプレーヤーに育った。女性が「キャンダデイトマスター」と呼ばれるレベルに達したのはウガンダで初めてだ。すでに米ディズニー(Disney)はフィオナさんの話を映画化する権利まで買い取っている。
こんなに成功しながらも、フィオナさんは自分からチェスを始めたわけではない。9歳のころ兄の後について、出来たばかりのチェスクラブに通い始めた。チェスをやるためではなく、ただで配られるお粥をもらうためだった。「チェスって何?って感じでした」
じきにフィオナさんは頭角を現した。クラブにやって来る年上の子供たちを全員、打ち負かすようになり、やがてウガンダのチェス代表の子供チームに入り、ついにはチェスの五輪といわれる隔年開催の「チェス・オリンピアード(Chess Olympiad)」にまで出場するようになった。「こんなところまで来るとは本当に思っていませんでした」
フィオナさんたちカトウェのスラムの子供たちにチェスを教えたのは、フィオナさんのコーチでもあるロバート・カテンデ(Robert Katende)さん(30)だ。元サッカー選手のカテンデさんは2003年に劇的にキャリアを変えた。ストリートキッドたちにチェスを教えようと思いついたのだった。チェスなんて言葉を聞いたこともない子供たちばかりでも良かった。「(路上の)子供たちに手を差し伸べることのできる何か土台を探してた。それでチェス盤をスラムに持って行ったんだ」
ウガンダでチェスといえば、教えているのは私立のエリート校だけだったが、スラムの子供たちの間にチェスはあっという間に広まった。日々「食う寝るところに住むところ」を手に入れるだけで必死の貧しい子供たちにチェスは、役に立つ人生の教訓を教え、さらにこれこそが必要なものだった「自信」を与えた。
カテンデさんは言う。「これはただの遊びじゃない。人生を変革する一つの方法なんです。難しい局面に出会ったら、どう動くのがベストか考えないといけない。コソ泥になるかもしれない子供たちに自律性が出る」
初期には即席のチェス盤とペットボトルのフタで出来た駒を使っていたクラブは、メンバーが63人を数えるほど大きくなった。借りている部屋に並べたベンチに子供たちがひしめき合って座る。最年少は4歳だ。相変わらず設備は限られながらも全員に行き渡るだけのチェス盤は揃った。
薄汚れた赤いサッカーシャツを着て寝転がりながら攻守の手を考え、駒をつまむマイケル・タレムワ(Michael Talemwa)君は11歳。他の子たち同様、チェスクラブを発見するまでは何かをできる機会はほとんどなかった。「家ではいつも一人で、することも何もなかった。友達がチェスをしに行こうって言うまではね。何のことだか分かんなかったから、僕は出来ないよって言ったんだけど、その子が絶対大丈夫だよって」
フィオナさんのようにスター的な存在となったメンバーを見て、マイケル君は自分もそうなるのが夢だと語った。「友達がそんなすごいレベルまで行ったっていうのを聞くのは、すごい幸せだよ。自分もそこまで出来るかもしれないからね」(c)AFP/Max Delany
まだよちよち歩きのころに父親が亡くなり、生活はずっと苦しかった。しかしフィオナさんは路上の子供から、16歳にして世界レベルのチェスプレーヤーに育った。女性が「キャンダデイトマスター」と呼ばれるレベルに達したのはウガンダで初めてだ。すでに米ディズニー(Disney)はフィオナさんの話を映画化する権利まで買い取っている。
こんなに成功しながらも、フィオナさんは自分からチェスを始めたわけではない。9歳のころ兄の後について、出来たばかりのチェスクラブに通い始めた。チェスをやるためではなく、ただで配られるお粥をもらうためだった。「チェスって何?って感じでした」
じきにフィオナさんは頭角を現した。クラブにやって来る年上の子供たちを全員、打ち負かすようになり、やがてウガンダのチェス代表の子供チームに入り、ついにはチェスの五輪といわれる隔年開催の「チェス・オリンピアード(Chess Olympiad)」にまで出場するようになった。「こんなところまで来るとは本当に思っていませんでした」
フィオナさんたちカトウェのスラムの子供たちにチェスを教えたのは、フィオナさんのコーチでもあるロバート・カテンデ(Robert Katende)さん(30)だ。元サッカー選手のカテンデさんは2003年に劇的にキャリアを変えた。ストリートキッドたちにチェスを教えようと思いついたのだった。チェスなんて言葉を聞いたこともない子供たちばかりでも良かった。「(路上の)子供たちに手を差し伸べることのできる何か土台を探してた。それでチェス盤をスラムに持って行ったんだ」
ウガンダでチェスといえば、教えているのは私立のエリート校だけだったが、スラムの子供たちの間にチェスはあっという間に広まった。日々「食う寝るところに住むところ」を手に入れるだけで必死の貧しい子供たちにチェスは、役に立つ人生の教訓を教え、さらにこれこそが必要なものだった「自信」を与えた。
カテンデさんは言う。「これはただの遊びじゃない。人生を変革する一つの方法なんです。難しい局面に出会ったら、どう動くのがベストか考えないといけない。コソ泥になるかもしれない子供たちに自律性が出る」
初期には即席のチェス盤とペットボトルのフタで出来た駒を使っていたクラブは、メンバーが63人を数えるほど大きくなった。借りている部屋に並べたベンチに子供たちがひしめき合って座る。最年少は4歳だ。相変わらず設備は限られながらも全員に行き渡るだけのチェス盤は揃った。
薄汚れた赤いサッカーシャツを着て寝転がりながら攻守の手を考え、駒をつまむマイケル・タレムワ(Michael Talemwa)君は11歳。他の子たち同様、チェスクラブを発見するまでは何かをできる機会はほとんどなかった。「家ではいつも一人で、することも何もなかった。友達がチェスをしに行こうって言うまではね。何のことだか分かんなかったから、僕は出来ないよって言ったんだけど、その子が絶対大丈夫だよって」
フィオナさんのようにスター的な存在となったメンバーを見て、マイケル君は自分もそうなるのが夢だと語った。「友達がそんなすごいレベルまで行ったっていうのを聞くのは、すごい幸せだよ。自分もそこまで出来るかもしれないからね」(c)AFP/Max Delany