墓場暮らしの男たち、セルビアが直面するホームレス問題
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【2月4日 AFP】肩に巻き付けたピンク色の薄い「綿入れ」と錆びたひつぎ3基と共に、ブラチスラフ・ストイコビッチさん(40)は今日もまた凍てつくセルビアの夜を過ごす。暮らしているのは同国南部の都市ニシュ(Nis)にある荒れ果てた市立墓地の墓穴の中。友人のアレクサンダル・ディジッチさん(53)だけが、ここで「生きたまま」墓場暮らしをする仲間だ。
ニシュの「旧墓地」と呼ばれるここはかつて、凝った石彫が施された墓碑で有名な墓地だったが、今ではその墓碑も消え失せている。「僕は何も盗んだことはない。今住んでいる墓も荒らしたわけじゃない。最初から開いていたんだ」と言うストイコビッチさんはここに住んで10年を超える。父親が焼死した火事で一気に家も、仕事も失った。頼れる友人や親戚もいなかった。横には、とうの昔に忘れ去られた地元の家族が収まったひつぎが並ぶ。「死人は怖くない。魂は地獄だろうが天国だろうが行くところに行くし、骨は何もしないからね」と言う。
一方、ディジッチさんの墓地暮らしは20年にもなる。ホームレスだった父親にこの墓地へ連れて来られた。その時から住んでいるのは、1929年に「母ミレニヤへ感謝を捧げる娘アンジェリーナ・ベセリッチより」と書かれた窓のない地下墓所だ。持ち物は褐色の液体が入った瓶数個と古着、それからわずかな食べ残しのかけらだけだ。
2人とも働いていない。「僕は建設作業員だけど、どこにも仕事は見つからない」とストイコビッチさんは言いながら、初めてホームレスになった日のことを振り返る。それは社会主義国家だったセルビアが、バルカン半島を焼き尽くす10年もの紛争へと突入していった移行期、1990年代のことだった。
■20万人が家なし状態
紛争でセルビアが果たした役割に対する国際社会の制裁が、多くのホームレスを生んでいる。東欧の共産体制下で栄えた多くの工場は、新たな経済体制の下で急停止した。ある人権団体が発表した昨年の統計では、セルビアのホームレス人口は推計20万人。国民の7%が貧困ライン未満で生活し、失業率は22.5%に達している。
セルビアにはまた他の旧ユーゴスラビア諸国にいたセルビア人およそ30万人が避難して来た。当局によればその3分の1がいわゆる集団避難施設で暮らしている。セルビアで家のない人々のための施設があるのはわずか12都市。しかし、それでは需要に追いつかないと、ボランティアのミルナ・ジョキッチさんは言う。「ベオグラード(Belgrade)には約300人分のベッドがあるが、少なくともあと3倍は必要。特に冬場は、です」
ストイコビッチさんもディジッチさんも生活保護は受けていない。定住所がないため、受け取りに必要な身分証明書を取得できないからだ。ジョキッチさんは「これは出口がない、堂々巡りなんです。社会福祉に登録したければ、家がないとダメなんです」
今後状況は変わるかもしれない。人権活動家らによる長い闘いの末、家のない人々は保護施設を住所として登録できるという成果を勝ち取ったからだ。
ニシュの人々に「墓場男」と呼ばれている2人はごみをあさり、食べ残しや古着を探し集めて生き延びている。近所の住民が食べ物や服、現金をも持って来て助けてくれることもある。ストイコビッチさんは「公衆浴場を使っているが、180ディナール(約180円)する。冬はバス代で120ディナール(約120円)も必要だ。歩いて2時間かけて浴場に行くのは大変だからね」と話す。
地元当局は1970年代から閉園している墓地を葬儀場に建て替える計画を持っている。しかし予算がないために、2人の「墓場男」たちは当面、新しい行き先を探すことを免れている。
2人はこの陰気な住み家で「心安らか」だと言う。訪れる人はほとんどなく、薬物依存者が時々、墓碑の陰で隠れているのを見かけるくらいだ。ストイコビッチさんにとってはそれよりも、通行人を驚かせてしまうことのほうが問題だ。「墓場から生きた人間が出てくるのは、本当に怖いからね」(c)AFP/Zoran Kosanovic
ニシュの「旧墓地」と呼ばれるここはかつて、凝った石彫が施された墓碑で有名な墓地だったが、今ではその墓碑も消え失せている。「僕は何も盗んだことはない。今住んでいる墓も荒らしたわけじゃない。最初から開いていたんだ」と言うストイコビッチさんはここに住んで10年を超える。父親が焼死した火事で一気に家も、仕事も失った。頼れる友人や親戚もいなかった。横には、とうの昔に忘れ去られた地元の家族が収まったひつぎが並ぶ。「死人は怖くない。魂は地獄だろうが天国だろうが行くところに行くし、骨は何もしないからね」と言う。
一方、ディジッチさんの墓地暮らしは20年にもなる。ホームレスだった父親にこの墓地へ連れて来られた。その時から住んでいるのは、1929年に「母ミレニヤへ感謝を捧げる娘アンジェリーナ・ベセリッチより」と書かれた窓のない地下墓所だ。持ち物は褐色の液体が入った瓶数個と古着、それからわずかな食べ残しのかけらだけだ。
2人とも働いていない。「僕は建設作業員だけど、どこにも仕事は見つからない」とストイコビッチさんは言いながら、初めてホームレスになった日のことを振り返る。それは社会主義国家だったセルビアが、バルカン半島を焼き尽くす10年もの紛争へと突入していった移行期、1990年代のことだった。
■20万人が家なし状態
紛争でセルビアが果たした役割に対する国際社会の制裁が、多くのホームレスを生んでいる。東欧の共産体制下で栄えた多くの工場は、新たな経済体制の下で急停止した。ある人権団体が発表した昨年の統計では、セルビアのホームレス人口は推計20万人。国民の7%が貧困ライン未満で生活し、失業率は22.5%に達している。
セルビアにはまた他の旧ユーゴスラビア諸国にいたセルビア人およそ30万人が避難して来た。当局によればその3分の1がいわゆる集団避難施設で暮らしている。セルビアで家のない人々のための施設があるのはわずか12都市。しかし、それでは需要に追いつかないと、ボランティアのミルナ・ジョキッチさんは言う。「ベオグラード(Belgrade)には約300人分のベッドがあるが、少なくともあと3倍は必要。特に冬場は、です」
ストイコビッチさんもディジッチさんも生活保護は受けていない。定住所がないため、受け取りに必要な身分証明書を取得できないからだ。ジョキッチさんは「これは出口がない、堂々巡りなんです。社会福祉に登録したければ、家がないとダメなんです」
今後状況は変わるかもしれない。人権活動家らによる長い闘いの末、家のない人々は保護施設を住所として登録できるという成果を勝ち取ったからだ。
ニシュの人々に「墓場男」と呼ばれている2人はごみをあさり、食べ残しや古着を探し集めて生き延びている。近所の住民が食べ物や服、現金をも持って来て助けてくれることもある。ストイコビッチさんは「公衆浴場を使っているが、180ディナール(約180円)する。冬はバス代で120ディナール(約120円)も必要だ。歩いて2時間かけて浴場に行くのは大変だからね」と話す。
地元当局は1970年代から閉園している墓地を葬儀場に建て替える計画を持っている。しかし予算がないために、2人の「墓場男」たちは当面、新しい行き先を探すことを免れている。
2人はこの陰気な住み家で「心安らか」だと言う。訪れる人はほとんどなく、薬物依存者が時々、墓碑の陰で隠れているのを見かけるくらいだ。ストイコビッチさんにとってはそれよりも、通行人を驚かせてしまうことのほうが問題だ。「墓場から生きた人間が出てくるのは、本当に怖いからね」(c)AFP/Zoran Kosanovic