起こらなかった未来、高度成長期の「奇抜」な日本の家電たち
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【11月12日 AFP】日本の技術はウォークマンや小型電卓、便座ヒーター付きトイレなどをわれわれに与えてくれた──その一方で、日本が技術で成功するまでの道のりには、テレビ型ラジオや、歩くトースターといった「失敗」があふれかえっている。
後に発明の代名詞として世界に名をとどろかせた日本の技術だが、これらの失敗作を含むレトロ家電の宝の山には、1950年代末から60年代初頭にかけてこの国にあった「実際には起こらなかった未来」が垣間見える。
「クールジャパン以前のジャパンは、こういう、もっちゃりしたジャパンだった」と語るのは、レトロ家電の収集家、増田健一(Kenichi Masuda)さん(49)。足立区郷土博物館で2000点に上る増田さんのコレクションの展示が行われた。
岩崎通信機(Iwatsu Electric)の「Both Phone」は、電話機を背中合わせに2台接続した機器。しかし、受話器が1つしか付いていないので、どちらか一方からしか使うことができない。
富士電機(Fuji Electric)の2段扇風機「サイレント・ペア」は、文字通り扇風機がペアになっているものだが、その一方で静音性については文字通りとはならなかったようだ。
増田さんのコレクションを眺めていると、「三種の神器」──テレビ、冷蔵庫、洗濯機──がステータスシンボルとして存在していた時代にタイムスリップしたような感覚を覚える。
■あこがれのテレビ、その代用に
当時、本物のテレビを買えなかった人のために「次善の品」が用意されていた。日本初の国産テレビは1950年代半ばの高卒者の年収3年分と高額だったためだ。
「シャープ・シネマスーパー」はテレビの形をしたラジオ。この製品はエリート公務員の平均月給の1か月分を少し上回る、1万900円と値が張った。
「テレビをみてる気分っていったって、画面が変わるわけでないし、そんなん一瞬ですわ。きっと買ってきたおとうさんは、おかあちゃんに怒られたと思います」(増田さん)
パナソニック(Panasonic)のテレビ型ガスストーブ「GFS-1」は、同社が30年間に販売したガスヒーターの中で最も高価なものだった。
「何の意味があるかと言えば、何の意味もない。ただテレビがいかに憧れだったかがわかります」と、増田さんはストーブの前でAFPの取材に語った。
■「人工衛星型」洗濯機、「ピアノ型」送風機、「スナック3」
「人工衛星型」洗濯機は、金属の球形で手回し機が付いており、衣服とお湯と洗剤を入れてハンドルで回して洗うというもの。旧ソ連が打ち上げた世界初の人工衛星「スプートニク(Sputnik)」に人びとが熱狂した1957年に発売された。
ほかにも、シャープ(Sharp)の電動ハサミ「クイッキー(Quicky)」や東芝(Toshiba)の電気缶切機「CK-31A」も、ヒットしなかった。日立(Hitachi)の「ピアノ(Piano)」は、ミニチュアピアノの形をした卓上送風機。ピアノの形をしている理由は定かでないが、出てくる風からはほのかな香りが漂うという。
東芝の「ウォーキング式トースター」は、側面のスリットからパンを差し込むと反対側から焼けて出てくるというもの。「売れませんでした。大きさも値段も倍するものが、日本の狭い台所にうけいれられるはずがない」と増田さん。
増田さんのお気に入りは、東芝の「スナック3」だ。ミルクを温めながらトーストを焼き、目玉焼きを作ることができる。「洋風の朝食に憧れがあったのかも。すぐに飽きたでしょうけどね」と増田さんは語った。
■高成長期の日本企業の「勇気と理想」
増田さんにとって、これら「無謀」な家電類は、1964年の東京五輪と新幹線開業をその頂点とした時代における日本企業の勇気と理想を示したものだという。
「愛着がわきますよ。かわいらしいし、いとおしい。メーカーが苦労して、喜んでもらおうと出したのがわかります。だた、時々、失敗したり、勇み足があったということです」「大の大人が、大人のために真剣に作ったんです」(増田さん)
この試行錯誤の時代を経て、日本の家電は20世紀末に世界を席巻する時代を迎えた。その典型がソニー(Sony)のウォークマンだったといえよう。
■苦闘する現代の日本企業
だが、それから全てがうまくいかなくなった。
不滅と思われた家電製品メーカー──パナソニックやシャープ、ソニーなど──は、今や過去の栄光の陰に隠れ、韓国や台湾のライバル企業に追いつこうと苦しんでいる。
増田さんは、企業があまりに大規模化したことにより、身軽さと遊び心を忘れたのだと指摘する。
「メーカーさんも一生懸命やってはるから、僕もあんまり偉そうなこと言えなんですが……今は組織が大きくなったぶん、『マーケティング』がどうとか、『採算性』がどうとか、『安全性』がどうとか、そういうんで、ちょっと動きが悪くなってるところがあるかもしれないです」「昔は、『行け行け!』みたいな、『多少の失敗はかまへん』みたいなそういう元気さはありましたね」(増田さん)
ではどうすれば原点に回帰できるのだろうか。この問いに増田さんは次のように答えた。
「それが分かったら、僕が社長になってます」
(c)AFP/Miwa Suzuki
後に発明の代名詞として世界に名をとどろかせた日本の技術だが、これらの失敗作を含むレトロ家電の宝の山には、1950年代末から60年代初頭にかけてこの国にあった「実際には起こらなかった未来」が垣間見える。
「クールジャパン以前のジャパンは、こういう、もっちゃりしたジャパンだった」と語るのは、レトロ家電の収集家、増田健一(Kenichi Masuda)さん(49)。足立区郷土博物館で2000点に上る増田さんのコレクションの展示が行われた。
岩崎通信機(Iwatsu Electric)の「Both Phone」は、電話機を背中合わせに2台接続した機器。しかし、受話器が1つしか付いていないので、どちらか一方からしか使うことができない。
富士電機(Fuji Electric)の2段扇風機「サイレント・ペア」は、文字通り扇風機がペアになっているものだが、その一方で静音性については文字通りとはならなかったようだ。
増田さんのコレクションを眺めていると、「三種の神器」──テレビ、冷蔵庫、洗濯機──がステータスシンボルとして存在していた時代にタイムスリップしたような感覚を覚える。
■あこがれのテレビ、その代用に
当時、本物のテレビを買えなかった人のために「次善の品」が用意されていた。日本初の国産テレビは1950年代半ばの高卒者の年収3年分と高額だったためだ。
「シャープ・シネマスーパー」はテレビの形をしたラジオ。この製品はエリート公務員の平均月給の1か月分を少し上回る、1万900円と値が張った。
「テレビをみてる気分っていったって、画面が変わるわけでないし、そんなん一瞬ですわ。きっと買ってきたおとうさんは、おかあちゃんに怒られたと思います」(増田さん)
パナソニック(Panasonic)のテレビ型ガスストーブ「GFS-1」は、同社が30年間に販売したガスヒーターの中で最も高価なものだった。
「何の意味があるかと言えば、何の意味もない。ただテレビがいかに憧れだったかがわかります」と、増田さんはストーブの前でAFPの取材に語った。
■「人工衛星型」洗濯機、「ピアノ型」送風機、「スナック3」
「人工衛星型」洗濯機は、金属の球形で手回し機が付いており、衣服とお湯と洗剤を入れてハンドルで回して洗うというもの。旧ソ連が打ち上げた世界初の人工衛星「スプートニク(Sputnik)」に人びとが熱狂した1957年に発売された。
ほかにも、シャープ(Sharp)の電動ハサミ「クイッキー(Quicky)」や東芝(Toshiba)の電気缶切機「CK-31A」も、ヒットしなかった。日立(Hitachi)の「ピアノ(Piano)」は、ミニチュアピアノの形をした卓上送風機。ピアノの形をしている理由は定かでないが、出てくる風からはほのかな香りが漂うという。
東芝の「ウォーキング式トースター」は、側面のスリットからパンを差し込むと反対側から焼けて出てくるというもの。「売れませんでした。大きさも値段も倍するものが、日本の狭い台所にうけいれられるはずがない」と増田さん。
増田さんのお気に入りは、東芝の「スナック3」だ。ミルクを温めながらトーストを焼き、目玉焼きを作ることができる。「洋風の朝食に憧れがあったのかも。すぐに飽きたでしょうけどね」と増田さんは語った。
■高成長期の日本企業の「勇気と理想」
増田さんにとって、これら「無謀」な家電類は、1964年の東京五輪と新幹線開業をその頂点とした時代における日本企業の勇気と理想を示したものだという。
「愛着がわきますよ。かわいらしいし、いとおしい。メーカーが苦労して、喜んでもらおうと出したのがわかります。だた、時々、失敗したり、勇み足があったということです」「大の大人が、大人のために真剣に作ったんです」(増田さん)
この試行錯誤の時代を経て、日本の家電は20世紀末に世界を席巻する時代を迎えた。その典型がソニー(Sony)のウォークマンだったといえよう。
■苦闘する現代の日本企業
だが、それから全てがうまくいかなくなった。
不滅と思われた家電製品メーカー──パナソニックやシャープ、ソニーなど──は、今や過去の栄光の陰に隠れ、韓国や台湾のライバル企業に追いつこうと苦しんでいる。
増田さんは、企業があまりに大規模化したことにより、身軽さと遊び心を忘れたのだと指摘する。
「メーカーさんも一生懸命やってはるから、僕もあんまり偉そうなこと言えなんですが……今は組織が大きくなったぶん、『マーケティング』がどうとか、『採算性』がどうとか、『安全性』がどうとか、そういうんで、ちょっと動きが悪くなってるところがあるかもしれないです」「昔は、『行け行け!』みたいな、『多少の失敗はかまへん』みたいなそういう元気さはありましたね」(増田さん)
ではどうすれば原点に回帰できるのだろうか。この問いに増田さんは次のように答えた。
「それが分かったら、僕が社長になってます」
(c)AFP/Miwa Suzuki