【9月11日 AFP】「わたしより後に職場を出た人は、もう駄目だったと思う」――そう語るクリス・ハーデ(Chris Hardej)さんの目にみるみる涙が溜まった。

 世界貿易センタービル(World Trade CenterWTC)が崩壊してから10年。生存者の中には、クリスさんのように自分の体験を積極的に伝え続ける人もいれば、あの日の話をすることを完全に拒否する人もいる。そして、中には生き方そのものを変えた生存者もいる。

 クリスさんの場合、ツインタワーの跡地に出来た記念館に月に4回通い、約400人いるボランティアの1人として当時の経験を観光客に話して聞かせている。

 クリスさんはあの日、ノースタワー(北棟)の87階から、2人の同僚とともに暗い非常階段を降りて避難した。途中で、上に向かっていく消防士らとすれ違った。彼らは帰らぬ人となった。

 タワーが崩壊した直後の、「不気味な静けさ」を今もはっきりと覚えているという。しかし、クリスさんは今は「ハッピーだ」と語る。「自分は、以前とそんなに変わっていないと思う」と。

 そして、「昨夜は葬式だった。呼吸に問題のある人だった」と続けた。同時多発テロに巻き込まれた人には呼吸器を痛めた人が多い。クリスさんも若干の呼吸疾患を抱えているが、「生きているから」と気にする様子も見せない。

■「2年間ゾンビのように過ごした」

 一方、事件で心の傷を負い、人生の意義を再発見するのに何年もかかった生存者もいる。

「金を稼ぐこと」を目標として仕事をしていたジョン・ウィリアム・コドリング(John William Codling)さん(35)は、生き方を180度変えた。

 ジョンさんの職場は84階にあった。その日は休みで職場にいなかったが、それでも彼の人生は変わってしまった。約50人の同僚が命を落としたからだ。

「毎日10時間彼らと仕事をしていた。同僚以上の存在だった」「才能ある人たちで、たくさんのプロジェクトを抱えていた」

 ジョンさんはニューヨーク(New York)を去り、実家に戻った。翌年の9月11日には神経衰弱に陥った。「2年ぐらいはゾンビみたいだった。長い間、事件についての話はできなかった」

 そのかわり、自分がウサマ・ビンラディン(Osama Bin Laden)を殺す妄想などをして時間を過ごした。

 絵を描くことも始め、ビンラディンの死体を描いたりもした。その後、2回にわたって展示会を開いた。

 そうやって少しずつ、ジョンさんは生活を取り戻していった。今では3歳の息子がいて、ニューヨークにも戻った。生活は順調だ。「10年たって、そろそろ前に進み始めるべき時だと思う」

(c)AFP/Brigitte Dusseau