北朝鮮「暴露本」出版の元大佐、金正律氏インタビュー
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【3月7日 AFP】北朝鮮の故金日成(キム・イルソン、Kim Il Sung)主席と金正日(キム・ジョンイル、Kim Jong Il)総書記の下で20年にわたって秘密活動に従事した北朝鮮軍の元大佐がAFPのインタビューに応じ、現在の心境などを語った。
この元大佐は、ドイツで発売されたIngrid Steiner-Gashi氏とDardan Gashi氏の共著「Im Dienst des Diktators(独裁者に仕えて)」で自身の秘密活動について暴露した金正律(キム・ジョンリュル、Kim Jong Ryul)氏(75)。金氏はかつて、20年間にわたり経済制裁をかいくぐって合法、非合法を問わずあらゆる物資を北朝鮮に送り続けていた。その後、1994年にオーストリアに逃れ、15年に及ぶ潜伏生活に入った。
金氏は、「ようやく陽のあたるところに出てこられた。だが、これもいつまで持つかわからない。短い時間だろう」「北の人間はわたしを捕らえ、殺そうとするだろう。わたしはそれがとても恐ろしい」と語った。
■欧州への「買い物」旅行
ドイツ語に堪能な金氏は、外交旅券でくりかえし欧州に出張し、スパイ技術や兵器、小型航空機、高級車、金日成主席用の金めっきを施した銃などを調達していた。特によく訪れていたのは、オーストリアのウィーン(Vienna)だったという。北朝鮮政府は、ウィーンは銀行の秘匿性が高く、貿易規制や空港管理が比較的緩いと見ていたからだ。
北朝鮮と取引があったのは、オーストリアだけでなく、スイスやドイツ、フランス、チェコスロバキア(当時)の中小企業だったという。これらの企業は30%の追加料金を支払えば、物資の行き先については喜んで目をつむっていたという。
調達した物資はウィーンの北朝鮮大使館で再梱包(こんぽう)して偽造した船積書類を付け、買収した税関職員などの協力で北朝鮮に送られていた。
■オーストリアでの潜伏生活
国民に窮乏生活を強いながら指導部は贅沢な生活にふける体制に嫌気がさした金氏は、欧州滞在中に逃亡することを決意。当局の目をごまかすため死亡したと見せかけて、1994年10月18日にオーストリアで潜伏生活を開始した。金氏は「自由が欲しかった。私には自由が必要だった」と当時を振り返る。
潜伏生活については、家族や自分自身の安全のため、家族には一切相談しなかった。現在も家族の消息は分からないという。だが、常に祖国に戻る計画だけは立てていた。金日成主席が死去した94年には帰国が実現するかに思われた。「金日成主席が死去したら体制は崩壊すると思っていた。だが、あれから15年もたったがわたしはまだ帰国できていない」と語った。
潜伏先のオーストリアでは、友人もほとんど作らず、密かに蓄えた貯金を取り崩しながら目立たない生活を心がけていた。
■「明日からまた消える」
現在、金氏は北朝鮮に関するニュースを集めるため日本語を独学しているという。だが、帰国に関しては、「死ぬ前に家族に会うことがわたしの夢だ。ほとんど無理だとは思うが」と悲観的だ。「アジアでは、主君への忠誠が非常に重要だ。わたしは裏切り者だ。わたしは祖国を、革命を裏切った」
自身の体験を出版することについては、リスクは承知の上だとし、「結局、最後には死ぬんだ。何もせずに死ぬこともないだろう」と語った。さらに、暗殺は怖いとしながらも、今回の出版について「100%正しい行為」だとし全く後悔していないと述べた。
金氏は最後に、「明日からわたしの姿を見ることはないだろう。わたしはまた消える」としめくくった。(c)AFP/Sim Sim Wissgott
【関連記事】北朝鮮の元大佐の「独裁暴露本」、15年の潜伏生活に終止符
この元大佐は、ドイツで発売されたIngrid Steiner-Gashi氏とDardan Gashi氏の共著「Im Dienst des Diktators(独裁者に仕えて)」で自身の秘密活動について暴露した金正律(キム・ジョンリュル、Kim Jong Ryul)氏(75)。金氏はかつて、20年間にわたり経済制裁をかいくぐって合法、非合法を問わずあらゆる物資を北朝鮮に送り続けていた。その後、1994年にオーストリアに逃れ、15年に及ぶ潜伏生活に入った。
金氏は、「ようやく陽のあたるところに出てこられた。だが、これもいつまで持つかわからない。短い時間だろう」「北の人間はわたしを捕らえ、殺そうとするだろう。わたしはそれがとても恐ろしい」と語った。
■欧州への「買い物」旅行
ドイツ語に堪能な金氏は、外交旅券でくりかえし欧州に出張し、スパイ技術や兵器、小型航空機、高級車、金日成主席用の金めっきを施した銃などを調達していた。特によく訪れていたのは、オーストリアのウィーン(Vienna)だったという。北朝鮮政府は、ウィーンは銀行の秘匿性が高く、貿易規制や空港管理が比較的緩いと見ていたからだ。
北朝鮮と取引があったのは、オーストリアだけでなく、スイスやドイツ、フランス、チェコスロバキア(当時)の中小企業だったという。これらの企業は30%の追加料金を支払えば、物資の行き先については喜んで目をつむっていたという。
調達した物資はウィーンの北朝鮮大使館で再梱包(こんぽう)して偽造した船積書類を付け、買収した税関職員などの協力で北朝鮮に送られていた。
■オーストリアでの潜伏生活
国民に窮乏生活を強いながら指導部は贅沢な生活にふける体制に嫌気がさした金氏は、欧州滞在中に逃亡することを決意。当局の目をごまかすため死亡したと見せかけて、1994年10月18日にオーストリアで潜伏生活を開始した。金氏は「自由が欲しかった。私には自由が必要だった」と当時を振り返る。
潜伏生活については、家族や自分自身の安全のため、家族には一切相談しなかった。現在も家族の消息は分からないという。だが、常に祖国に戻る計画だけは立てていた。金日成主席が死去した94年には帰国が実現するかに思われた。「金日成主席が死去したら体制は崩壊すると思っていた。だが、あれから15年もたったがわたしはまだ帰国できていない」と語った。
潜伏先のオーストリアでは、友人もほとんど作らず、密かに蓄えた貯金を取り崩しながら目立たない生活を心がけていた。
■「明日からまた消える」
現在、金氏は北朝鮮に関するニュースを集めるため日本語を独学しているという。だが、帰国に関しては、「死ぬ前に家族に会うことがわたしの夢だ。ほとんど無理だとは思うが」と悲観的だ。「アジアでは、主君への忠誠が非常に重要だ。わたしは裏切り者だ。わたしは祖国を、革命を裏切った」
自身の体験を出版することについては、リスクは承知の上だとし、「結局、最後には死ぬんだ。何もせずに死ぬこともないだろう」と語った。さらに、暗殺は怖いとしながらも、今回の出版について「100%正しい行為」だとし全く後悔していないと述べた。
金氏は最後に、「明日からわたしの姿を見ることはないだろう。わたしはまた消える」としめくくった。(c)AFP/Sim Sim Wissgott
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