【4月30日 AFP】ナチス(Nazi)ドイツ時代、アウシュビッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)強制収容所の関連施設だった学校の壁から、7人の収容者が記したメッセージ入りの瓶が発見されたことが27日に報じられたが、2日後の29日、スウェーデン在住の女性が「亡くなった父親の名前がある」と名乗り出た。

 このメッセージが入れられた瓶は、ポーランド南部オシフィエンチム(Oswiecim)の職業訓練学校で、最近行われた壁の解体作業中に発見された。メッセージは鉛筆で書かれ、1944年9月20日の日付とともに、ポーランド人6人、フランス人1人の計7人の収容者の氏名と年齢、収容者番号が記されていた。全員18歳から20歳までの若者で、防空壕の建設に携わっていたという。

 アウシュビッツ博物館(Auschwitz museum)では、7人のうち2人は生き延びたことが分かっているが、強制収容所を出た後の消息は不明だとし、「2人が今も生きていたら80歳代のはず。今回のニュースで新たな情報が寄せられるかもしれない」と期待を寄せていた。

 自分の父親の名前を発見したと名乗り出たのは、スウェーデンのウプサラ(Uppsala)に在住するイレネ・ジャンコヴィアック(Irene Jankowiak)さん(49)。ポーランドの親せきからメッセージ発見のニュースを聞き、確認したところ、父親の名前「ブロニスワフ・ジャンコヴィアック(Bronislaw Jankowiak)」があったので非常に驚いたという。

 イレネさんはAFPとの電話インタビューで「一目見て、父親が書いたものだと思った。念のため父親が書いた手紙や1945年の日記の筆跡と比較し、100%父親のものだと確信した」と話した。

 彼女の父親、ブロニスワフさんは、1926年にポーランドのポズナニ(Poznan)に生まれた。カトリック教徒だったが、1943年に強制収容所に送られ、1945年にスウェーデンへ脱出。南部のAatvidabergにあるタイプライターと計算機の製造工場で働き、1997年に同地で死去した。

 イレネさんによると、生前の父親は強制収容所についてはほとんど口を閉ざしていた。「時計がその時点で止まっていたのが、わたしと家族の元に歴史がよみがえったという感じです。父とはどんな人物だったのか、なぜ黙っていたのか、わたしたちは考えているところです」(イレネさん)

■もう1人の「生存者」は・・・

 もう1人の「生存者」は唯一フランス人だったアルベール・ヴァイシド(Albert Veissid)さん(84)で、現在も仏南部マルセイユ(Marseille)に在住している。ヴァイシドはメッセージの発見について「ミステリー」だと話している。(c)AFP