略奪遺産の清朝の皇帝印、中国人が2億円で落札
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【4月30日 AFP】パリで28日開かれたアジア美術品の競売会で、中国・清朝の皇帝の玉爾(ぎょくじ)を、中国人男性が168万ユーロ(約2億2000万円)で落札した。中国当局は、この印鑑は1860年に北京(Beijing)の円明園(Old Summer Palace)から英仏軍に略奪されたものだと主張し、競売の中止を求めていた。
玉爾の予想落札価格は30万ユーロ(約4000万円)だったが、この男性と別のアジア人バイヤーとの落札合戦が白熱し、最終的にはその5倍以上の価格で落札された。この男性は氏名を公表しておらず、フランス在住の美術品収集家の代理として競売に参加したと語っている。
円明園は清朝(1644-1912)時代の皇帝の住まいとされるが、中国当局は、玉爾は中国に返還されるべきだと主張し、このような競売は中国国民の感情を傷つけ、国際協定にも違反するとして再度、中止するよう申し入れていた。
2か月前には、故イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)氏とパートナーのピエール・ベルジェ(Pierre Berge)氏が所有する、同じく円明園から略奪された清朝時代の動物のブロンズ頭像2体の競売が行われた。
中国政府は、現時点では談話を発表していない。
■本当に略奪されたのか?
背中合わせになった2頭の龍が乗った10センチ四方のひすいの玉爾は、第2次アヘン戦争などを指揮したフランスのエリー・ジャン・ド・ヴァッソン(Elie Jean de Vassoigne)将軍の子孫のコレクションから発見されたもので、漢字で「国に平和と安定を」と意味する刻印がある。
中国側は、ヴァッソン将軍が第2次アヘン戦争時に円明園から略奪して玉爾を持ち帰ったとしているが、競売を行った仏オークション会社Beaussant-Lefevreのティエリ・ポルティエ(Thierry Portier)氏は「将軍が略奪に関わった記録はない」と主張する。
同氏によると、将軍は1860年には北京から200キロ離れた天津(Tiensin)の要塞にいたという。将軍の子孫が玉爾を所有していた理由は「わからない」と語った。
また、中国の皇帝の玉爾は毎年世界中で10個以上が売買されているという。前年には南フランスで17世紀の玉爾が560万ユーロ(約7億3000万円)で落札されたが、このときは中国からの抗議はなかったという。(c)AFP/Emma Charlton
玉爾の予想落札価格は30万ユーロ(約4000万円)だったが、この男性と別のアジア人バイヤーとの落札合戦が白熱し、最終的にはその5倍以上の価格で落札された。この男性は氏名を公表しておらず、フランス在住の美術品収集家の代理として競売に参加したと語っている。
円明園は清朝(1644-1912)時代の皇帝の住まいとされるが、中国当局は、玉爾は中国に返還されるべきだと主張し、このような競売は中国国民の感情を傷つけ、国際協定にも違反するとして再度、中止するよう申し入れていた。
2か月前には、故イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)氏とパートナーのピエール・ベルジェ(Pierre Berge)氏が所有する、同じく円明園から略奪された清朝時代の動物のブロンズ頭像2体の競売が行われた。
中国政府は、現時点では談話を発表していない。
■本当に略奪されたのか?
背中合わせになった2頭の龍が乗った10センチ四方のひすいの玉爾は、第2次アヘン戦争などを指揮したフランスのエリー・ジャン・ド・ヴァッソン(Elie Jean de Vassoigne)将軍の子孫のコレクションから発見されたもので、漢字で「国に平和と安定を」と意味する刻印がある。
中国側は、ヴァッソン将軍が第2次アヘン戦争時に円明園から略奪して玉爾を持ち帰ったとしているが、競売を行った仏オークション会社Beaussant-Lefevreのティエリ・ポルティエ(Thierry Portier)氏は「将軍が略奪に関わった記録はない」と主張する。
同氏によると、将軍は1860年には北京から200キロ離れた天津(Tiensin)の要塞にいたという。将軍の子孫が玉爾を所有していた理由は「わからない」と語った。
また、中国の皇帝の玉爾は毎年世界中で10個以上が売買されているという。前年には南フランスで17世紀の玉爾が560万ユーロ(約7億3000万円)で落札されたが、このときは中国からの抗議はなかったという。(c)AFP/Emma Charlton