暴行被害のパキスタン女性、過去を乗り越え差別に苦しむ女性を支援
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【4月12日 AFP】集団レイプの被害者であるパキスタン女性のムクタル・マイ(Mukhtar Mai)さん(39)の法廷闘争は国際的な注目を集めた。訴訟で勝利したマイさんはその後、警官と結婚。過去を乗り越え、現在は村に設立した学校で貧しい家庭の子どもたちの教育活動や、社会的差別に苦しむ女性の救済活動に取り組んでいる。
空調やソファ、コンピュータを備えたバンガローでマイさんは、ほほえみを浮かべて、今はこれまでにないほど幸せだと話す。
マイさんは女子校2校と男子校1校を運営しており、そこでは約1000人の貧困層の家庭の子どもたちが教育を受けている。そのほか暴力の犠牲となった女性を保護する福祉センターも運営している。センターでは地域社会の女性を支援するため、女性の権利意識を高めるセミナーや法的支援を行っている。
人権団体によると、パキスタンの女性差別は深刻で、家庭内暴力を受けたり「名誉の殺人(Honor Killing)」の犠牲になる場合もあるという。「名誉の殺人」とは、婚前、婚外交渉をした女性を一族の名誉を守るためとして父親や男兄弟が殺害するというもので、アジアや中東の一部地域ではこの習慣が今なお存在する。
マイさんは2002年に集団レイプの被害者となった。当時12-13歳だったマイさんの弟が対立する部族の女性と不倫の関係を持ったというぬれ衣を着せられたことから、村の評議会の決定で部族間の争いを収めるため、マイさんが公衆の面前で集団レイプという処罰を受けたのだ。
保守的な家父長制度のパキスタン社会では、レイプの被害者は家族から見捨てられ、自殺することも多い。将来、結婚できる見込みもない。
しかしマイさんは違った。強姦犯らを裁判所に訴えたのだ。現在夫であるナシル・アッバス・ガボル(Nasir Abbas Gabol)さんは、この法廷闘争の際、マイさんの警護を担当する警官の1人だった。9歳年下だったが、2007年にマイさんにプロポーズ。実はその何年も前からマイさんに恋をしていたのだ。
だがマイさんが結婚を拒んだため、ガボルさんは睡眠薬で自殺未遂を起こした。「その後、彼の妻と両親が(私との結婚の許可を求めて)私の両親に会いに来ましたが、やはり私は結婚を拒み続けました」とマイさんは話す。当時ガボルさんには1人の妻がいた。パキスタンではイスラム法に則って4人まで妻を持つことが許されている。
するとガボルさんは妻のシェーラ・キラン(Shehla Kiran)さんに離婚を切り出し、さらにシェーラさんが困らないよう家屋の所有権を譲渡し、土地と月々の生活費を与えることに同意した。慌てたシェーラさんはガボルさんの第2夫人になるようマイさんを強く説得。ようやくマイさんは結婚を承諾し、今年の3月21日に挙式した。
だが夫のガボルさんが暮らす村に移り住むつもりはないという。彼女の活動の拠点Meerwalaから遠く離れているからからだ。マイさんは、裁判で勝訴した後、政府から得た見舞い金を活用して、Meerwalaで抑圧されたパキスタン女性を支援活動を行っている。
法廷闘争での勝利は国際的な注目を集めマイさんは2005年米ファッション雑誌「グラマー(Glamour)」のウーマン・オブ・ザ・イヤー(Woman of the Year)に選ばれ、自叙伝も執筆した。(c)AFP/Abdul Sattar Qamar
空調やソファ、コンピュータを備えたバンガローでマイさんは、ほほえみを浮かべて、今はこれまでにないほど幸せだと話す。
マイさんは女子校2校と男子校1校を運営しており、そこでは約1000人の貧困層の家庭の子どもたちが教育を受けている。そのほか暴力の犠牲となった女性を保護する福祉センターも運営している。センターでは地域社会の女性を支援するため、女性の権利意識を高めるセミナーや法的支援を行っている。
人権団体によると、パキスタンの女性差別は深刻で、家庭内暴力を受けたり「名誉の殺人(Honor Killing)」の犠牲になる場合もあるという。「名誉の殺人」とは、婚前、婚外交渉をした女性を一族の名誉を守るためとして父親や男兄弟が殺害するというもので、アジアや中東の一部地域ではこの習慣が今なお存在する。
マイさんは2002年に集団レイプの被害者となった。当時12-13歳だったマイさんの弟が対立する部族の女性と不倫の関係を持ったというぬれ衣を着せられたことから、村の評議会の決定で部族間の争いを収めるため、マイさんが公衆の面前で集団レイプという処罰を受けたのだ。
保守的な家父長制度のパキスタン社会では、レイプの被害者は家族から見捨てられ、自殺することも多い。将来、結婚できる見込みもない。
しかしマイさんは違った。強姦犯らを裁判所に訴えたのだ。現在夫であるナシル・アッバス・ガボル(Nasir Abbas Gabol)さんは、この法廷闘争の際、マイさんの警護を担当する警官の1人だった。9歳年下だったが、2007年にマイさんにプロポーズ。実はその何年も前からマイさんに恋をしていたのだ。
だがマイさんが結婚を拒んだため、ガボルさんは睡眠薬で自殺未遂を起こした。「その後、彼の妻と両親が(私との結婚の許可を求めて)私の両親に会いに来ましたが、やはり私は結婚を拒み続けました」とマイさんは話す。当時ガボルさんには1人の妻がいた。パキスタンではイスラム法に則って4人まで妻を持つことが許されている。
するとガボルさんは妻のシェーラ・キラン(Shehla Kiran)さんに離婚を切り出し、さらにシェーラさんが困らないよう家屋の所有権を譲渡し、土地と月々の生活費を与えることに同意した。慌てたシェーラさんはガボルさんの第2夫人になるようマイさんを強く説得。ようやくマイさんは結婚を承諾し、今年の3月21日に挙式した。
だが夫のガボルさんが暮らす村に移り住むつもりはないという。彼女の活動の拠点Meerwalaから遠く離れているからからだ。マイさんは、裁判で勝訴した後、政府から得た見舞い金を活用して、Meerwalaで抑圧されたパキスタン女性を支援活動を行っている。
法廷闘争での勝利は国際的な注目を集めマイさんは2005年米ファッション雑誌「グラマー(Glamour)」のウーマン・オブ・ザ・イヤー(Woman of the Year)に選ばれ、自叙伝も執筆した。(c)AFP/Abdul Sattar Qamar