【12月23日 AFP】フィリピン北部アブラ(Abra)州の新知事、エウスタキオ・ベルサミン(Eustaquio Bersamin)さんは、地元の有力政治家だった兄を暗殺組織に殺された。ベルサミンさんの兄は2006年12月、礼拝に訪れていたマニラ(Manila)の教会を出たところで射殺されたという。

「かつては、わたしも復讐を考えていた」というベルサミンさんだが、「しかし、同時に、銃撃抗争だけではないアブラ州を取り戻したいと考えている」と語る。

 山河に囲まれたアブラ州は、部族間抗争や政治家の暗殺が横行することから、「フィリピンのシチリア(Sicily)」という有り難くない異名を持つ。

 人口25万人中、服役囚の数はわずか88人にすぎないが、殺し屋の数はおそらくフィリピンで最も多い。裏社会に通じた人びとの情報によると、前年行われた地元選挙での「殺し」の報酬は、地元政治家1人あたり5000ペソ(約1万円)だったという。

 美しい自然と豊かな天然資源に恵まれながら、アブラ州住民の生活は貧しいままだ。特に共産ゲリラに掌握された高地では、多くの町が町長にも見放され、事実上の無法地帯と化している。

 財政を中央政府からの助成金に頼るアブラの現状も、公職者が抗争に巻き込まれる土壌となっており、前年の地方選挙期間中には、ベルサミンさんの兄も含めて政治家20人以上が殺されている。

■平和再建のため知事選に立候補

 故郷に平穏をもたらしたいと望んだベルサミンさんは2003年、35年間務めた米ロサンゼルス(Los Angeles)保安官事務所を退職し、フィリピンに帰国。前年には米市民権を放棄し、知事選に立候補し、当選を果たした。

 気さくな人柄のベルサミンさんだが、常に暗殺の恐怖にさらされる生活への適応は、大きな努力を要したと打ち明ける。通常、暗殺予告は匿名の電話で告げられるという。ベルサミンさんが外出する際は、常にボディガードの警護がつく。

 すでに成人となったベルサミンさんの子どもたちは、こうした危険を避けるため、みな米国で暮らしている。

 状況の改善には、高地に暮らす農民と市場を繋ぎ、天然資源への外国資本を誘致するための州内の道路網の整備が早急の課題だと、ベルサミンさんは話す。

 アブラ州が暴力抗争地帯となったのは、1970年代に高地部族が始めた当時のフェルディナンド・マルコス(Ferdinand Marcos)大統領に対する武装闘争がきっかけだった。約20年前に停戦が交わされているが、暴力の慣習は、アブラにそのまま根付いてしまった。

 同州では2010年に再び州知事選が行われる。「血なまぐさい選挙になるのでは」と予測するあるビジネスマンは、再選をめざすベルサミンさんも、「銃の力」がなければライバルを撃退することができないのではと懸念を示した。(c)AFP/Cecil Morella