【12月11日 AFP】「文明のゆりかご」と呼ばれるイラクの古代遺跡バビロン(Babylon)。この遺跡に、米軍とポーランド軍が1年間に及び駐屯施設を建設し、多国籍軍が計18か月にわたり駐留した結果、取り返しのつかない被害がもたらされたと、考古学者らは口を揃えて指摘している。

 2003年3月にイラクに進攻した米軍はここを駐屯地とし、同年4月から翌年6月にかけてネブカドネザル(Nebuchadnezzer)宮殿跡の周辺に大きな砂利道や堤防を築き、溝を掘り、燃料貯蔵庫や2000人を収容するプレハブの兵舎を建設した。

 バビロン博物館のハムザ(Maithem Hamza)館長は、苦悩の表情を浮かべながら遺跡を指さす。「まったく。(軍の)残がいだらけだろ」。土壌の一角は油にまみれ、米軍車両の壊れたドアが放置されている。一帯には、数千年前のレンガのかけらやくさび形文字が刻まれた遺物に混じり、米軍が残したがらくたや土のうが散乱している。

■ヘリコプターの震動も遺跡を破壊

 米軍はなぜここに駐屯施設を築いたのか。当時のサダム・フセイン(Saddam Hussein)大統領が1993年に建てさせたという新宮殿が、イラク進攻時、明らかに米軍の注意をひいたのだろう。 

 軍のヘリポートは、遺跡からわずか300メートルしか離れていない。ハムザ館長によると、ヘリコプターによる震動で、1980年代にフセイン大統領の命で再建されたニンマー(Ninmah)寺院の土台が崩壊したという。

 大英博物館(British Museum)の専門家らは2005年、イシュタル門(Door of Ishtar)の9つのドラゴンの浮き彫り、古代の大通りの敷石の損傷が、軍事車両や重機の通行によるものであることを確認したと報告している。

 考古学者らは、当初から駐屯施設の建設に異議を唱えてきた。大英博物館のキュレーター、ジョン・カーティス(John Curtis)氏もその1人だ。同氏によれば、ネット上に遺跡の破壊状況の写真や、駐屯施設の規模を示す空撮写真が掲載されるようになったことで駐屯施設への抗議の機運が高まり、2004年6月に建設は中止。その半年後に軍は撤収したという。

■「略奪から守るのに一役買った」と米軍

 これに対し米軍は、「軍がいたから、略奪を防ぐことができ、結局遺跡を保護したことになるのではないか」と主張する。ある米軍幹部は英BBCに対し、「(遺跡への)軍の駐留は高くついたって? 軍がいなかった場合の方がはるかに高くついただろうね」と発言している。

 だが、カーティス氏は、軍の駐留は確かに高くついたと思っている。「損傷の多くは、復元不可能だ。例えば、長さ170メートル、深さ2メートルの溝は元に戻しようがない。こうした傷跡は永遠に残るだろう。土のうによる被害も深刻だ」

 米軍の言い分については、「悪意でやったことではないだろう。無知と愚かさがなせるわざだ」とため息をついた。(c)AFP/Michel Moutot