【9月17日 AFP】シーア派のイラク兵からバスを降りるよう指示された時、サダム・フセイン(Saddam Hussein)さんは「もうおしまいだ」と観念した。身体が震えた。

 だが、この兵士は、直立不動の姿勢をとって敬礼をすると、2006年12月に処刑されたサダム・フセイン元大統領の栄光をたたえる歌を高らかに歌った。「一種のジョークでした。バスに戻れと言われたときには、ほっとしましたよ」とサダムさん。

 彼は、フセイン元大統領が政権に就いた1979年に生を受けた。父親はおらず、母親とおばが命名しようとしたが折り合いがつかなかった。そこでかかりつけの医師に相談すると、「姓がフセインなんだから、サダムにしたら」と提案された。

 サダムさんは、2003年の米軍のイラク進攻後に反米武装闘争の拠点となったファルージャ(Fallujah)で、カメラマンとして活動している。平坦な人生ではなかったが、「フセイン元大統領が悪名をはせたにもかかわらず、『同姓同名』は損よりも得をもたらした」と言う。

 ずんぐりとした体形に、おどおどした性格。外見的にも内面的にも「もう1人のサダム」とは似ても似つかない。だが、同姓同名ということで、学校の試験では点数が10点上乗せされた。女の子たちにももてた。

 2003年4月にフセイン元大統領が政権の座を追われると、母親に改名をせまられたが、断った。「世話になった名前ですから」

 のちに報道写真家としての活動を始めるが、武装勢力を取材するときには戦闘員らの尊敬を集めた。「彼らの多くは、かつて共和国防衛軍に所属していた。サダム・フセインという響きは、彼らにとって特別の意味を持つのです」

 また、戦闘に巻き込まれ病院に担ぎこまれたときは、家族が「サダム・フセインが負傷した」と騒いだおかげで、医師の特別なはからいを受けたという。

 フセイン元大統領が処刑されたときには、彼自身もしょげ返った。「今はまるで、この広い世界でたった1人のサダム・フセインになってしまったように感じるんです」(c)AFP/Sammy Ketz