【4月22日 AFP】フィリピン・マニラ湾の波止場にあるスラム街バセコ(Baseco)に住む男たちは、住人としての2つの目印--ギャングであることを示す「入れ墨」または腎臓を売ったことを示す「傷あと」のいずれかを持っている。

 イメルダ・マルコス(Imelda Marcos)元大統領夫人の命によって湾からかき集めた泥で作られた52ヘクタールのゴミ捨て場は、フィリピンの絶望的な困窮状態を表わしている。

 港湾作業員やポーターになろうとフェリーで別の島々からやってきてここに住み着いた人の大半は、技術もなく、教養もないという身分から逃れることはできない。

 事態が悪化すると血液を売り、万策尽きると内臓を売ることになる。

「16万ペソ(約40万円)もらったよ。お金はずっと前になくなった。いまも貧乏だ」と、女性の顔の入れ墨を腕に彫り込んだ5児の父親、Joey Roscoさん(38)は語る。左側のあばら骨の下から腰にかけて弓なりに伸びた30センチあまりの傷が、1991年に受けた手術の唯一の証拠だ。ベニヤ板、竹、ブリキ板でできた粗末な小屋の外でAFPの取材に応じた。

 それでも健康な分、自分は幸運だという。

 腎臓を提供した近所に住む仲間の1人は合併症で7年前に死亡、別の男性は手にしたお金で買った拳銃で妊娠中の妻を誤って撃ってしまったという。

 フィリピン腎臓学会(Philippine Society of Nephrology)によると、同国は世界でも臓器取引が盛んに行われている国の1つだという。Lyn Gomez学会長は「2002年から2005年の間にフィリピン人から外国人に対して行われた腎臓移植手術件数は400を超える」とし、完全に報告していない病院もあることから、実数はずっと多いと指摘する。

 政府のRenal Disease Control Programme(腎臓病管理プログラム)によると、2006年には国内24の病院で、親族以外に対する436件の生体腎移植が行われた。また、病気を患ったドナーからの腎移植は36件行われた。

 バセコは生きたドナーが住む地域として最もよく知られており、地元政府の推計によると、住民5万人のうち3000人程度が腎臓を提供したとみられている。

■腎臓を売っても金持ちにはなれない

 ローマカトリックのフィリピン人司祭は1月、「腎臓を売ってお金持ちになった人を見たことがない」と述べ、臓器売買は貧者から搾取する「倫理的に受け入れられない」行為だと非難した。

 バセコのKristo Hispano村長は「ここでは腎臓売買は1970年代から行われている。仕事には就けないし、事業を立ち上げるためには資金がいるので腎臓を売るのだ。腎臓を元手にして財をなした人には会ったことがない」と語る。

 Roscoさんは、腎臓を売る前は定期的に血液を売っていたという。血液は首都マニラ(Manila)の血液バンクで1リットル35ペソ(約85円)で売れたという。

 フィリピンの腎臓学者らは最近、マニラ近郊の多数の町で、腎臓を売った農業従事者、三輪車運転手、教育を受けていない人、職に就いていない人など数百人を発見したという。

 中には2万ペソ(約5万円)のほか食料、薬を受け取っただけで、いかなる術後の処置も受けなかった人もいるという。また、現在、高血圧や腎不全を患っている人もいる。(c)AFP/Cecil Morella