エベレスト世界初登頂の登山家ヒラリー氏が死去
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【1月11日 AFP】(一部更新、写真追加)世界最高峰エベレスト(Mount Everest、8848メートル)の登頂に世界で初めて成功したエドモンド・ヒラリー(Edmund Hillary)卿が11日、死去した。88歳だった。近年、健康状態がすぐれなかったという。
■「栄光は生き続ける」、ニュージーランド首相が追悼
ヒラリー氏の死去を発表したニュージーランドのヘレン・クラーク(Helen Clark)首相は、同氏の死はニュージーランドにとって大きな損失だと述べ、「卿は自身について通常の能力を持った平均的なニュージーランド人だと話していたが、実際は巨人だった」「彼はエベレストを踏破しただけにとどまらず、決断力があり謙虚で寛容な英雄的人物だった」などと死を悼んだ。
「エドモンド・ヒラリー卿の栄光は生き続ける。過去半世紀以上そうだったように、かれの偉業はニュージーランドの若い世代を励まし続けるだろう」「この伝説的な登山家、冒険家、慈善家は、これまでで最も有名なニュージーランド人だ」(クラーク首相)
■世界初のエベレスト登頂、南極探検やシェルパ民族支援も
ヒラリー氏は1953年、シェルパのテンジン・ノルゲイ(Tenzing Norgay)氏とともに世界で初めてエベレストの山頂に到達した。ヒラリー隊のエベレスト登頂が報じられたこの年の年6月2日は、英エリザベス女王(Queen Elizabeth)の戴冠式と同じ日だった。
ヒラリー氏は自伝の中で、登頂後ベースキャンプに戻った時に登山隊の一員で友人のジョージ・ロー(George Lowe)氏とした会話を、次のように描いている。
「ジョージが『どうだった?』と聞いたので、『ジョージ、われわれはやつを倒したよ』と答えた」
1957年には南極のスコット基地の設立に携わり、翌1958年1月3日に初めて車両で南極点に到達するという偉業を成し遂げた。また、ヒマラヤ山脈に住むシェルパ民族を支援するため財団を設立し、学校や病院などを建設した。
ヒラリー氏は、生存中に肖像が同国の通貨に採用された唯一の人物。養蜂業を営み、自身の成功をネパールの人々の支援に捧げ、国内外で英雄と認められていた。(c)AFP
■「栄光は生き続ける」、ニュージーランド首相が追悼
ヒラリー氏の死去を発表したニュージーランドのヘレン・クラーク(Helen Clark)首相は、同氏の死はニュージーランドにとって大きな損失だと述べ、「卿は自身について通常の能力を持った平均的なニュージーランド人だと話していたが、実際は巨人だった」「彼はエベレストを踏破しただけにとどまらず、決断力があり謙虚で寛容な英雄的人物だった」などと死を悼んだ。
「エドモンド・ヒラリー卿の栄光は生き続ける。過去半世紀以上そうだったように、かれの偉業はニュージーランドの若い世代を励まし続けるだろう」「この伝説的な登山家、冒険家、慈善家は、これまでで最も有名なニュージーランド人だ」(クラーク首相)
■世界初のエベレスト登頂、南極探検やシェルパ民族支援も
ヒラリー氏は1953年、シェルパのテンジン・ノルゲイ(Tenzing Norgay)氏とともに世界で初めてエベレストの山頂に到達した。ヒラリー隊のエベレスト登頂が報じられたこの年の年6月2日は、英エリザベス女王(Queen Elizabeth)の戴冠式と同じ日だった。
ヒラリー氏は自伝の中で、登頂後ベースキャンプに戻った時に登山隊の一員で友人のジョージ・ロー(George Lowe)氏とした会話を、次のように描いている。
「ジョージが『どうだった?』と聞いたので、『ジョージ、われわれはやつを倒したよ』と答えた」
1957年には南極のスコット基地の設立に携わり、翌1958年1月3日に初めて車両で南極点に到達するという偉業を成し遂げた。また、ヒマラヤ山脈に住むシェルパ民族を支援するため財団を設立し、学校や病院などを建設した。
ヒラリー氏は、生存中に肖像が同国の通貨に採用された唯一の人物。養蜂業を営み、自身の成功をネパールの人々の支援に捧げ、国内外で英雄と認められていた。(c)AFP