【8月8日 AFP】レバノン南部に住むダリア・フセイン(Dalia Hussein)ちゃん(7)は、1年前まではごく普通の少女だった。学校ではよく勉強し、特に算数が得意だった。

 ダリアちゃんの一家は2006年8月8日、チレ(Tyre)北部の村ガジエ(Ghaziyeh)でイスラエルの空爆を受けた。イスラム教シーア派武装組織ヒズボラ(Hezbollah)に対するイスラエルの攻撃を逃れ、この村に避難した矢先のことだった。

 父と兄は重傷を負い、ダリアちゃんはシドン(Sidon)近郊の病院の遺体安置所に運ばれた。しかし、報道写真家のMahmud Zayatさんは、ダリアちゃんがまだ生きているのを発見する。

 「ストレッチャーに載せられていたが、上に掛けられた布が動き、胸が上下しているのが見えた。息をしていたのだ。わたしは写真を撮って医師を呼び生きていることを告げた」とZayatさんは振り返る。

 しかし、ダリアちゃんは頭に重傷を負っており、助かる確率は100分の1と医師は母親に告げる。それでもダリアちゃんはもちこたえた。9月28日にはイタリアの赤十字により、イタリアのベルガモ(Bergamo)へ移送され、6回の手術を受けた。費用は赤十字が負担した。

 10か月ぶりに故郷に戻ってきたダリアちゃんには、まだ重度の障害が残る。歩くことも話すこともできず、両親は、脳に負った重い損傷はおそらく治らないだろうと告げられた。それでも意識はあり、両親と13歳の双子の兄、そして姉のことは分かるという。

 奇跡的に生き返ったダリアちゃんがいつかまた、歩いたり話したりできるようになるという希望を、家族は捨てていない。(c)AFP/Marwan Naamani