元売春婦が営む、老売春婦のためのシェルター
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【5月30日 AFP】メキシコ市(Mexico City)に住む、現在59歳になるカルメン・ムノス(Carmen Munoz)さんは、10人の子供を育てるために、売春をして生計を立てていた。その時に気づいたのは、人生や家族に見捨てられる老いた売春婦を待ち受ける不幸だった。
■売春をやめ、シェルターを開くまで
「とても寒い日に私は、段ボール箱が歩道を動いていくのを見ました。それは路上で生活する老いた売春婦たちだった。その場で、この状況をどうにかしようと決意しました」とムノスさんはAFPに語った。
老いた売春婦のためのシェルターを開こうと思い立ち、忍耐強く、固い決意を持って、社会的な組織や市当局の説得にあたった。18世紀に建てられ、ボクシング博物館として使われていた、ぼろぼろな建物を使わせてくれるよう訴えた。
この時、彼女は、22歳の時から生活のために続けてきた売春をやめた。各方面への説得は数年かかったが、2006年2月に「Casa Xochiquetzal(アステカ族の女神(public women)」をオープンさせた。
■皆に開かれたシェルター
この魅力的な施設は、メキシコ市で最も危険な地域の1つ、La Mercedにある。路上生活者が払う使用料は1区画4ドル以下だが、ムノスさんにはそれで十分満足で、住人たちは施設に感謝している。
「この施設に入る条件は、現在あるいは過去に売春をしていて、60歳以上であること。そして、誰からの支援も受けられずに路上生活をしているということだけ」とムノスさんは語る。
■老いた売春婦たちの事情
Casa Xochiquetzalに暮らす、75歳になるマリア・カネラ(Maria Canela)さんは、施設の玄関を清掃し、新しい入居者を迎える仕事をしている。ムノスさん以外で、氏名と顔を公表しているのは彼女だけだ。
「16歳の時に、義父から性的虐待を受けそうになったので家を出た。小学校を4年しか行けなかった私は、家政婦のような仕事に就くことができなかった。そこで私は売春を始めました」。カネラさんは関節炎の痛みに顔をしかめながら語った。
施設は「ここは我が家のようです」という。
「以前は路上で生活していました。お客からもらったお金があるときだけ、一晩5.5ドルの宿に泊まった」
両親の家を出て以来、自宅と呼べるような場所を持ったのは、「ある親切な男性(a good man)」と同居した3年間だけ。結局、男性の子どもに追い出されるように、家を出た。
カネラさんはいま、お菓子やタバコを売って生計を立てているが、他の住人たちは、現在でも時々売春という手段に頼っている。しかし1回に稼げるのはたったの2ドルだ。
「彼女たちの多くは売春をやめた。彼女たちがまた売春に出かけようとするのを見たら、引き留めたい。でも、石けんを買うお金が必要だというのです」
■心の痛みを共有するシェルターの住人
貧困に加え、老いた売春婦たちは皆、育てた子どもたち、親戚、伴侶に見捨てられたという心の痛みを抱えている。
「私は7人の子どもに教育を受けさせましたが、今では誰も私に会いにきてくれない」と、74歳になる元売春婦は、名前を明かさずに語った。
「私はある男性の家に20年間居候していました。親切な人でしたが、私より若い女性が現れて、私は捨てられました。数ブロック先に兄弟姉妹が住んでいますが、私のことを拒絶しています」と彼女は加えた。
カネラさんや施設の住人たちは、5月10日の母の日を思い出して涙を流した。
「子どもが小さいときには問題ありません。しかし、彼らは成長すると、自分の母親が何をしているのかを理解し、それを恥ずかしいと感じ、私たちに近寄るなと言うのです」
「子どもたちは母の日に会いに来てくれません。私たちが小さなパーティーを開いても、贈り物を手に訪れてくれるのは、ほんの数人の子どもと、他人だけです」とムノスさんは語った。
■ぶつかりながらも幸せな日々
しかし、Casa Xochiquetzalの住人は幸せなひとときも共有している。彼女たちは、にぎやかな音楽をかけ、踊り、声を合わせて歌ったり、集会室の周りに集まって愉快な苦労話に耳を傾け合っている。
しかし、たまには言い争いが起こることもある。
「路上生活がとてもきつかったせいで、私たちは攻撃的な性格になってしまいました」
「私たちは老いていますが、幼稚なところがあります。でも、住む家があり、食べるものもある、ここでの暮らしの方が幸せです」(c)AFP
■売春をやめ、シェルターを開くまで
「とても寒い日に私は、段ボール箱が歩道を動いていくのを見ました。それは路上で生活する老いた売春婦たちだった。その場で、この状況をどうにかしようと決意しました」とムノスさんはAFPに語った。
老いた売春婦のためのシェルターを開こうと思い立ち、忍耐強く、固い決意を持って、社会的な組織や市当局の説得にあたった。18世紀に建てられ、ボクシング博物館として使われていた、ぼろぼろな建物を使わせてくれるよう訴えた。
この時、彼女は、22歳の時から生活のために続けてきた売春をやめた。各方面への説得は数年かかったが、2006年2月に「Casa Xochiquetzal(アステカ族の女神(public women)」をオープンさせた。
■皆に開かれたシェルター
この魅力的な施設は、メキシコ市で最も危険な地域の1つ、La Mercedにある。路上生活者が払う使用料は1区画4ドル以下だが、ムノスさんにはそれで十分満足で、住人たちは施設に感謝している。
「この施設に入る条件は、現在あるいは過去に売春をしていて、60歳以上であること。そして、誰からの支援も受けられずに路上生活をしているということだけ」とムノスさんは語る。
■老いた売春婦たちの事情
Casa Xochiquetzalに暮らす、75歳になるマリア・カネラ(Maria Canela)さんは、施設の玄関を清掃し、新しい入居者を迎える仕事をしている。ムノスさん以外で、氏名と顔を公表しているのは彼女だけだ。
「16歳の時に、義父から性的虐待を受けそうになったので家を出た。小学校を4年しか行けなかった私は、家政婦のような仕事に就くことができなかった。そこで私は売春を始めました」。カネラさんは関節炎の痛みに顔をしかめながら語った。
施設は「ここは我が家のようです」という。
「以前は路上で生活していました。お客からもらったお金があるときだけ、一晩5.5ドルの宿に泊まった」
両親の家を出て以来、自宅と呼べるような場所を持ったのは、「ある親切な男性(a good man)」と同居した3年間だけ。結局、男性の子どもに追い出されるように、家を出た。
カネラさんはいま、お菓子やタバコを売って生計を立てているが、他の住人たちは、現在でも時々売春という手段に頼っている。しかし1回に稼げるのはたったの2ドルだ。
「彼女たちの多くは売春をやめた。彼女たちがまた売春に出かけようとするのを見たら、引き留めたい。でも、石けんを買うお金が必要だというのです」
■心の痛みを共有するシェルターの住人
貧困に加え、老いた売春婦たちは皆、育てた子どもたち、親戚、伴侶に見捨てられたという心の痛みを抱えている。
「私は7人の子どもに教育を受けさせましたが、今では誰も私に会いにきてくれない」と、74歳になる元売春婦は、名前を明かさずに語った。
「私はある男性の家に20年間居候していました。親切な人でしたが、私より若い女性が現れて、私は捨てられました。数ブロック先に兄弟姉妹が住んでいますが、私のことを拒絶しています」と彼女は加えた。
カネラさんや施設の住人たちは、5月10日の母の日を思い出して涙を流した。
「子どもが小さいときには問題ありません。しかし、彼らは成長すると、自分の母親が何をしているのかを理解し、それを恥ずかしいと感じ、私たちに近寄るなと言うのです」
「子どもたちは母の日に会いに来てくれません。私たちが小さなパーティーを開いても、贈り物を手に訪れてくれるのは、ほんの数人の子どもと、他人だけです」とムノスさんは語った。
■ぶつかりながらも幸せな日々
しかし、Casa Xochiquetzalの住人は幸せなひとときも共有している。彼女たちは、にぎやかな音楽をかけ、踊り、声を合わせて歌ったり、集会室の周りに集まって愉快な苦労話に耳を傾け合っている。
しかし、たまには言い争いが起こることもある。
「路上生活がとてもきつかったせいで、私たちは攻撃的な性格になってしまいました」
「私たちは老いていますが、幼稚なところがあります。でも、住む家があり、食べるものもある、ここでの暮らしの方が幸せです」(c)AFP