【大阪 11日 AFP】元建設労働者の中山シンジさん(56)は毎日12時間、大阪の路上に立ってホームレス支援誌「『ビッグイシュー日本版』を売っている。しかし、職場への道を急ぐ人々には、彼の姿は目に入らない。

 大阪市北区に日本本部を持つ『ビッグイシュー日本版』は、ホームレスの人が売り手となり、収入を得ることで自立を目指す、ホームレス支援システムだ。

■雑誌を売ることで命をつなぐホームレス
 
 他人に援助を請うこと、他人を援助することが習慣化されていない日本社会で、路上に立ってこの雑誌を売ることは、ホームレスの中山さんにとって簡単なことではなかった。中山さんを新興宗教団体の信者や、仕事に就きたくない怠け者だと勘違いする通行人もいる。

 「雑誌を掲げて路上に立った経験などなかったので、始めは勇気が必要だった」と毛糸の帽子とマフラー姿の中山さんは大阪市庁舎ビルの陰で寒風を避けながら語った。

 3年間もホームレス生活を続けた中山さんだが、今は雑誌の売上げで月に10万円前後の収入を手にする。簡易宿泊所で生活するには十分な額だ。

 「毎日、朝5時半に起きて自転車で『ビッグイシュー日本版』を仕入れ、夕方の7時ごろまで路上に立つ」。しかし、中山さんに昼休みはない。「空腹だが、飯代を稼げなければどうしようもない」と中山さんはいう。

■支援のために『ビッグイシュー日本版』を立ち上げた佐野氏

 政府は、日本経済は戦後最長の景気拡大にあるというが、ホームレスや定住できない人々が減る兆しはない。

 この雑誌の佐野章二代表(65)が、隔週週刊『ビッグイシュー日本版』を立ち上げたのは2003年。当時の大阪には約6600人のホームレスがいた。さらに、宿を転々とする住所不定者も数千人いたという。

 彼らの苦境に心を動かされた佐野さんは、彼らを支援すべく定職を投げ打ち、『ビッグイシュー」発祥の地、英国のスコットランドに赴き、同誌の代表メル・ヤング(Mel Young)氏が主催するホームレスに関するワークショップに参加した。

 佐野さんは、ヤング氏から大阪のホームレス数を尋ねられた。その数を「少なくとも1万人」と答えると、ヤング氏は、「なぜ、ここで時間を無駄にしているのか」と聞き返した。「それで『ビッグイシュー日本版』の立ち上げを決意したのです」と佐野さんはいう。

■依然、販売部数は増加せず

 しかし、その道のりは平坦ではなかった。創刊から4年、「ビッグイシュー日本版」の発行部数は4万部。日本の約半分の人口のイングランドとウェールズでの発行部数、12万2000部には遠く及ばない。佐野さんは無報酬で、週6日働く。しかし、「ビッグイシュー」の売上げが、いまだに赤字だ。
 
 同誌の購読者が不足している理由について、佐野さんは「日本には、路上で雑誌を売う習慣がない」からだと説明する。「さらに、日本人は路上で働く人々への偏見がある。我々を路上でパンフレットを配る新興宗教団体と勘違いしている人々もいるようだ」ともいう。

 佐野さんは広告取りでも苦戦している。「ホームレス」と関わることで企業イメージが傷つくことを恐れる企業が多いからだ。

 しかし佐野さんは、英国の「ビッグイシュー」の創刊は1991年であるのに対し、2003年9月に創刊した日本版はまだ4年足らずと日が浅い点も無視できないという。日本版は、英国版の翻訳記事に日本独自の記事やインタビューを加えるなどして独自性を打ち出す努力をしている。


■日本人の「ホームレスへの偏見を変えたい」という思い

 佐野さんが『ビッグイシュー日本版』にかける思いは単に売上げの問題だけではない。1990年初頭にバブル経済が破綻するまで、ホームレスの存在は公に認識されてこなかった日本で、同誌が日本人のホームレス理解を深めることを期待しているのだ。

 佐野さんは、「日本では、ホームレスは怠け者だという偏見がいまだに根強い」と指摘する。「販売員のホームレスたちが、真夏の炎天下の日も、木枯らしが吹き付ける真冬の日も、路上に立ってこの雑誌を売り、働いているのを目にすることで、日本人のホームレスへの認識が少しでも変わるかもしれない。」という思いも込められている。

 一方、現在、120人が『ビッグイシュー日本版』の販売員として登録しているが、創刊からの3年間に、販売員を務めたホームレスらは550人以上に上る。約6割が「販売員の仕事は向いていない」として1か月以内に辞めてしまったという。「路上で『ビッグイシュー日本版』を掲げることは、自分がホームレスだと公言しているようなものだから」と佐野さんは話した。

 写真は大阪市庁舎前で、『ビッグイシュー日本版』を売る中山さん(2006年12月4日撮影)。(c)AFP/Daniel ROOK