【11月29日 AFP】仏パリ(Paris)のケ・ブランリー美術館(Musee du Quai Branly)で28日、「作られた未開人(the invention of the savage)」展が開幕した。かつて欧州各国の植民地から連れてこられた先住民たちが、動物のように見せ物にされた歴史と向き合う展示会だ。

 20世紀半ばまでアフリカやアジア、オセアニア、アメリカ大陸の先住民は「未開人」と呼ばれ、このことが植民地支配の残虐性を正当化する1つの根拠になっていた。

 この展示会では先住民の扱いに関する絵画や彫刻、ポスター、書籍など600点が展示されている。なかには、白人の優越性を示すために用いられた頭蓋骨を計測する道具もある。

 サッカー元フランス代表のリリアン・テュラム(Lilian Thuram)氏は展示会の主任学芸員として参加した。フランス海外県グアドループ(Guadeloupe)生まれのテュラム氏は、ドイツのハンブルク(Hamburg)で動物園を訪れたときの驚きをAFPに語った。「入り口を入ると、たくさんの動物の像に混ざって、アメリカやアフリカ先住民の像があるんだ。来園者たちが、これから動物だけでなく人間も見るんだとわかるようにね。それが現在でもそのままなんだよ」

 もう1人のサッカー元フランス代表でニューカレドニア(New Caledonia)出身のクリスティアン・カランブー(Christian Karembeu)氏も、同展に関わる歴史がある。1931年、カランブー氏の祖父母を含むニューカレドニアの先住民カナク(Kanak)人たち100人あまりがパリ市内で、「人食い人種」として見せ物にされたのだ。カナク人たちはその後、ドイツでも「展示」された。

■植民地の歴史は先住民を見せ物にする歴史

 クリストファー・コロンブス(Christopher Columbus)が米大陸を「発見」した1492年以降にアメリカ先住民がスペインに連れられていったことに始まり18世紀末まで、先住民たちは、時にはエキゾチックな、時には奇怪な生き物としてヨーロッパの特権階級への見せ物にされた。

 この風潮は、19世紀に入って現在の南アフリカの先住民女性サーキ・バートマン(Saartje Baartman)が、「ホッテントットの女神(Hottentot Venus)」としてロンドン(London)やパリで見せ物になったことをきっかけにさらに激しくなった。

「作られた未開人」展の学芸員の1人で歴史が専門のパスカル・ブランシャール(Pascal Blanchard)氏によると、1810年から1958年の間に各国の展覧会やサーカス、劇場などで見せ物として「未開人」を見た人は14億人に上ると推計されるという。

■犠牲者の尊厳を回復する試み

 見せ物興行はヨーロッパ各地に加え、米国や日本、オーストラリアでも行われた。これらの国で見せ物となった植民地の先住民は3万5000人あまりとみられ、見せ物となった先住民には対価が支払われたという。

 19世紀末には、東南アジアのラオスから連れてこられた、全身が毛で覆われた少女「クラオ(Krao)」が、人類とサルの中間に位置する「ミシング・リンク」として見せ物になった。

 アフリカ系米国人で軽度の知的障害があったウィリアム・ヘンリー・ジョンソン(William Henry Johnson)は、4歳のときに両親から興行師フィニアム・テイラー・バーナム(Phineas Taylor Barnum)に売り渡された。バーナムはジョンソンに毛むくじゃらの服を着せて見せ物興行をさせた。タイトルは、「これ、何だと思う?」

 今回の展示会は、こうした負の歴史から数世紀を経たいま、実名を示して1人1人の人生をたどることによって、被害者たちの尊厳を少しでも回復する狙いもある。「作られた未開人」展は2012年6月3日まで。(c)AFP/Pascale Mollard-Chenebenoit

【参考】ケ・ブランリー美術館「作られた未開人」展のページ(フランス語)