【6月17日 AFP】エジプト・カイロ(Cairo)にある美術学校は今年で創立100周年を迎える名門校だが、スケッチや彫刻の授業は「ヌードモデル」無しで行わなければならない。裸はイスラム教への冒涜(ぼうとく)にあたるからだ。

 ナイル川(Nile)に浮かぶザマレク島(Zamalek)にあるこの学校には、国内各地から2500人の学生が集う。そのほとんどがヘッドスカーフ姿の女子学生だ。

 この学校は1908年、時のユスフ・カマル(Yussef Kamal)王子により欧州の美術学校をモデルに創設され、1927年には国立の高等教育機関として認可を受けた。エジプト彫刻の父とも称されるMahmud Mokhtarら、そうそうたるアーティストを輩出している。

 だが、人体をスケッチし彫刻を作ろうにも、ここにはヌードモデルがいない。裸のモデルはイスラム教ではハラーム(禁止事項)なのだ。彫刻科のモハメド教授によると、ヌードモデルはよろしくないという風潮になったのは70年代に入ってからだという。

■解剖図を見てスケッチ

 2年生のアーメドさん(20)は「あるのは解剖図と写真だけ。写真は撮影者の主観が入っているので適切ではありません。自分たちで無理やりイメージを形作らなければならないんです」と嘆く。

 カイロのオペラハウスのダンサー同様、モデルは頭からつま先まで布で覆わなければならない。国内ではイスラム化の推進に伴いベリーダンスも衰退しつつある。多くの人が、ベリーダンサーはイスラム教に反するとみなしているためだ。

 ある教育評論家は「イスラム教徒は道徳の名のもと、西洋の価値観との戦いを開始した。政府と学校もこれにならうようになった」と分析する。

 敬けんなイスラム教徒らは、イスラム教は偶像崇拝を禁じているのだから、アートで人体を表現するのも禁止事項だと主張する。

 現実には、上半身裸の女性を描写した作品は、エジプトが誇る古代エジプト王朝およびヘレニズム時代の文化遺産にあふれている。それが10年前には、エジプト人の偉大な画家Mahmud Said(1964年没)のヌード作品を回顧展で展示できないという風に、アートは社会の変転を映し出してきた。 

 美術学校の教師や生徒の大半はヌードモデル不在の弊害を説くが、反対意見もある。「人体を描くことだけがアートではないわ」とヘッドスカーフをした21歳の女子学生。

■こっそりヌードモデルになる女子学生も

 著名イラストレーターのMakram Henin氏は、まだヌードモデルが使われていた60年代初頭までカイロ美術学校に通っていた。彼はヌードモデルを使わなくなったことの逆効果を危惧(きぐ)する。例えば、若い女子学生たちがアパートの個室で、同級生のためにこっそりヌードになっているという。

 ギャラリーのオーナーらは、エジプトの美術は衰退しつつあると指摘する。あるオーナーは「学校で美術を勉強した30歳以下のアーティストたちは、オリジナリティーにも洗練にも欠ける。装飾美術に過ぎない。彼らは一体あの学校で何を学んだのだろうと思わずにはいられませんね」とため息をついた。(c)AFP