「イスラム侮辱」で死刑宣告を受けたラシュディ氏に爵位
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【6月16日 AFP】小説『悪魔の詩(The Satanic Verses)』が原因で、イランの故ルホラ・ホメイニ(Ruhollah Khomeini)師から死刑宣告を受けた作家のサルマン・ラシュディ(Salman Rushdie)氏(59)が16日、エリザベス女王(Queen Elizabeth II)からナイトの爵位を授与された。
■故ホメイニ師の死刑宣告以降、潜伏生活へ
「ラシュディ氏の『悪魔の詩』がイスラム教を侮辱している」として、最高指導者だったホメイニ師が死刑を宣告したのは1989年。これに端を発して、世界中のイスラム過激派が暴力的な抗議活動を展開、イランと西欧諸国の外交関係は、危機的状況に陥った。
身の危険にさらされたラシュディ氏は、24時間体制で警官による護衛を受けた上に、転居を繰り返す必要があり、自身の子どもにさえ居場所を教えることができなかった。
1998年、イラン政府が死刑支持を撤回したが、イラン革命防衛隊(Revolutionary Guard)などの組織は現在も定期的に、ラシュディ氏に対する死刑執行を警告している。
10年近い潜伏生活を余儀なくされたラシュディ氏だが、その後は公の場に姿を表わすことが増え、現在では、オーストラリア出身のポップ歌手カイリー・ミノーグ(Kylie Minogue)や、女優でモデルのパドマ・ラシュミー(Padma Lakshmi)らと肩を並べる、国際的なパーティーの常連となっている。ラシュミーはラシュディ氏の4人目の妻で、同氏よりも20歳以上年下の女性だ。
■「文学への貢献」を認められ、「サー・サルマン(Sir Salman)」に
16日、エリザベス女王の公式誕生日にあたって叙勲名簿が発表され、「文学への貢献」を認められたラシュディ氏が「サー(Sir)」の称号を伴うナイト爵位を受けることが決まった。
ラシュディ氏は「これほどの栄誉を授かり、感激するとともに恐縮している。作品がこのような形で認められたことに、大変感謝している」と感想を述べた。
■ラシュディ氏の経歴
インド・ムンバイ(Mumbai)生まれのラシュディ氏は、インドや英国で教育を受けた後、名門ケンブリッジ大学(University of Cambridge)に進学した。大学在学中は、歴史を学ぶとともに複数の学生プロダクションで活動。卒業後は広告業界で成功をおさめ、クリームケーキのキャッチコピーとして「naughty but nice」という言葉を生み出した。
だがラシュディ氏は、執筆にかける自身の情熱を追求するため、広告業界でのキャリアを捨てることを決意する。初作品『Grimus』こそ失敗に終わったものの、『Midnight's Children(真夜中の子どもたち)』(1981年)で、権威ある文学賞、ブッカー賞(Booker Prize)を受賞した。
1988年に出版された『悪魔の詩』では主に、2人のインド人俳優、GibreelとSaladinの冒険のもようが描かれている。2人が搭乗していた飛行機がハイジャックされてイギリス海峡(English Channel)上空で爆破し、英国にたどり着くというストーリーだ。ラシュディ氏の4作目にあたる同作品は、ほかの作品同様、幻想的写実主義の作品で、アイデンティティーや宗教に関する疑問の解決を試みるインド出身の人物が登場する。
故ホメイニ師から死刑判決を受けた後も、ラシュディ氏は執筆を続け、『The Moor's Last Sigh』(1995年)などの作品を生み出した。
ラシュディ氏に対する脅威が目に見えて沈静化してきたため、同氏は近年、映画『ブリジット・ジョーンズの日記(Bridget Jones's Diary)』や米国のコメディ番組『となりのサインフェルド(Seinfeld)』に出演するなど、社会への露出度が高い仕事にも取り組んでいる。
同氏はまた、Britain's Royal Society of Literatureのフェローや、米マサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology、MIT)の名誉教授をはじめとする、多くの名誉ある地位にもついている。(c)AFP/Katherine Haddon