女性初の宇宙飛行から50年、ソ連崩壊で明らかになった苦難のミッション
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【6月17日 AFP】1963年6月16日、ワレンチナ・テレシコワ(Valentina Tereshkova)さんは、世界初の女性宇宙飛行士として宇宙へ飛び立った。この科学的快挙は、ソビエト連邦のプロパガンダの1つとして大成功を収めた。
ユーリ・ガガーリン(Yuri Gagarin)が史上初の有人飛行を成し遂げてから2年後、宇宙船「ボストーク6号(Vostok-6)」で宇宙へと飛び立ち、26歳にして国民的英雄となったテレシコワさんは、これまでに単独で宇宙飛行を成し遂げた唯一の女性だ。
1962年4月、当局は宇宙飛行の候補者を5人にまで絞り込んだ。極秘プロセスで選ばれたのは、技術者2人、学校教師1人、タイピスト1人と、パラシュート降下の経験を90回持つ工員1人で、この工員がテレシコワさんだった。7か月に及ぶ集中訓練の後、女性初の宇宙飛行士として選抜された。
農家で生まれ育ったテレシコワさんは、モスクワ(Moscow)から約280キロの歴史都市ヤロスラブリ(Yaroslavl)にある織物工場で働き、職場では旧ソ連共産党青年組織「コムソモール(Komsomol、共産主義青年同盟)」のリーダーを務めていた。宇宙飛行士に選抜されたことは、家族にさえ打ち明けることを禁じられていたため、家族がこの偉業を知ったのは、政府が全世界に向けて発表してからだった。
テレシコワさんがカザフスタンのバイコヌール宇宙基地(Baikonur cosmodrome)から飛び立ったとき、すでにバレリー・ブイコフスキー(Valery Bykovsky)飛行士が操縦する別の旧ソ連宇宙船「ボストーク5号(Vostok-5)」が、2日間にわたり地球軌道を周回していた。
テレシコワさんは3日間のミッションで、地球を48周した。ミッション初日には、ブイコフスキー飛行士と通信して、彼に歌を歌ってあげたりもした。2人の乗った宇宙船が互いから遠ざかると、通信はそこで途絶えた。
テレシコワさんの飛行は、数々の問題に遭遇したが、これらはすべてソ連崩壊後に初めて公表された。
宇宙飛行士訓練センターがあるスターシティー(Star City)で今月開いた記者会見で、テレシコワさんは「飛行の初日から、問題が持ち上がった」と話した。「技術的な不具合により、宇宙船は着陸ではなく、さらに高い軌道へと送り込まれるようにプログラムされていました」。つまり、宇宙船は地球からどんどん遠ざかっていたのだ。この不具合は修正されたが、主任設計者のセルゲイ・コロリョフ(Sergei Korolyov)氏からは、誰にも言わないでほしいと頼まれたという。「私は30年間、この秘密を守った」とテレシコワさん。
テレシコワさんは公式報告書に、宇宙服のせいで脚を痛めた他、ヘルメットのせいで肩は圧迫され、頭部にかすり傷を負ったと記している。飛行中には嘔吐(おうと)もしたという。こうした情報もまた、史上初の女性による宇宙飛行の偉業を台無しにしないために、公表されなかった。
着陸時には、地上のミッション管制センターは不安に包まれた。当時の宇宙開発部門を統括していた旧ソ連将軍、ニコライ・カマニン(Nikolai Kamanin)氏が後に明らかにしたところによると、テレシコワさんは宇宙船をうまく誘導することができず、降下が始まる直前には通信も途絶えてしまった。
テレシコワさんは、当時の標準的な手順通りに、宇宙カプセルから外へ発射され、シベリア(Siberia)南部のアルタイ(Altai)に着陸するためにパラシュートで降下した。だが、宇宙船設計者のボリス・チェルトック(Boris Chertok)氏の手記によると、管制センターは着陸完了から2時間もの間、テレシコワさんの位置を把握できなかった。救助隊がテレシコワさんをようやく発見した場所は、想定していた地点から数十キロも離れていた。
テレシコワさんは、着陸時にヘルメットのバイザーに鼻を激しくぶつけたため、公式セレモニーではその際にできたあざを化粧で隠さなければならなかったと、後のインタビューで話している。
テレシコワさんはガガーリン飛行士と同様に、宇宙飛行を1回しか行っていない。
テレシコワさんは宇宙飛行の数か月後、宇宙飛行士のアンドリアン・ニコラエフ(Andriyan Nikolayev)さんと結婚した。2人の結婚は「おそらく政治界と科学界にとって好都合だったのだろう」とカマニン氏は記している。1964年には娘のエレーナ(Yelena)さんが誕生したが、夫婦は後に離婚。テレシコワさんはその後再婚した。
テレシコワさんは、旧ソ連時代にさまざまな栄誉ある役職に従事し、76歳の現在はロシア与党の統一ロシア(United Russia)の議員を務めている。
だが冒険心は、以前と変わらない。テレシコワさんは今月、たとえ片道の旅だとしても、いつでも火星に飛行する「覚悟はできている」と述べている。(c)AFP/Victoria LOGUINOVA-YAKOVLEVA