【12月18日 AFP】(写真追加)古代エジプトで神とあがめられた「最後の偉大なファラオ(王)」、ラムセス3世(Ramses III)は後継者争いのさなか、暗殺者に喉をかき切られて最期を迎えた――科学者たちが17日、3000年前の王家の殺人事件の謎を紐解く報告を発表した。

 法医学技術を用いた研究によって、ラムセス3世は狡猾な妻と野心家の息子が放った刺客、あるいは暗殺団の手にかかり殺された可能性が示唆された。

 また「叫ぶミイラ」として知られるミイラは、ラムセス3世謀殺の後におそらく自殺を強要された息子である可能性もあるという。

■喉の深い切り傷、CT画像で明らかに

 ラムセス3世のミイラのCT画像によると、王の気管と主幹動脈は裂けており、傷は左右7センチにわたり、深さは脊椎にまでほぼ達していたことが分かった。またこの傷によって、首の前面部の軟組織は完全に傷んでいた。

 イタリアにあるボルツァーノ欧州アカデミー(European Academy of BolzanoEURAC)内の「ミイラとアイスマン研究所(Institute for Mummies and the Iceman)」の古病理学者、アルバート・ツィンク(Albert Zink)氏は「首にあるこの切り傷によりラムセス3世は殺されたという事実にほぼ疑いはない。傷は非常に深く極めて大きく、骨(脊椎)にまで達している。致命傷だったことは間違いない」と述べている。

 紀元前1188年~1155年までエジプトを支配したラムセス3世は、古代の書物の中で「偉大なる王」であり、当時の地中海世界で最も価値ある「見返り」だったエジプトを度重なる侵略から守った戦将だと記述されている。

 ラムセス3世は65歳前後で死亡したが、死因は明らかになっていない。ラムセス3世暗殺を共謀した者たちの裁判を記録した「トリノの法のパピルス(Judicial Papyrus of Turin)」という古文書の中にわずかな手がかりがあるだけだ。記録されている4つの裁判にかけられた中には若い妃たちの1人、ティイ(Tiy)とその息子ペンタウアー王子(Prince Pentawere)も含まれていた。

■死後に喉を切られた可能性はほぼなし

 喉をかき切られたのは死んでからだった可能性もあるが、古代エジプトのミイラ作成技術にはそうした方法はまったく記録されていないことから、その可能性は非常に少ないと研究チームは述べている。

 歴史を見れば、王位継承に横やりを入れようとした者たちの策略は失敗に終わった。王座は、ラムセス3世自らが選んだ息子のラムセス4世(Ramesses IV、幼名:Amonhirkhopshef)に引き継がれた。(c)AFP/Mariette le Roux