【10月9日 AFP】京都大学(Kyoto University)の山中伸弥(Shinya Yamanaka)教授とともに2012年のノーベル医学生理学賞(Nobel Prize for Medicine)の受賞者に決まった英ケンブリッジ大学(University of Cambridge)のジョン・ガードン(John Gurdon)博士は、10代の頃に教師から科学の道へ進むことをあきらめるよう言われたことがあった。

 ケンブリッジ大のガードン研究所(Gurdon Institute)に所属するガードン博士は、1933年生まれで現在79歳。1962年、オタマジャクシの腸の細胞から遺伝子情報を含む核を取り出してカエルの卵に移植する実験に成功して注目を集めた。核を移植された卵はカエルに成長した。

 ガードン博士は15歳の頃の出来事を振り返るのを好む。受け取った通信簿には、「生物学分野への進学を考えているならば、それは全く時間の無駄だ。そんな考えは直ちに全て放棄すること」という担任の言葉が書かれていた。博士は「気晴らし」のために、その通信簿をいつも机の上に掲げていたという。

■母親のおかげで科学の道に

 しかし母親は、博士が生物学に並々ならぬ熱意を抱いていることを見抜いていた。ガードン博士は数年前のインタビューで「学校でも何千匹もの毛虫をガに育てて喜んでいた。教師にとっては不快でたまらなかっただろうね」と話している。科学とは全く無関係だった教育環境のなかで科学分野に方向転換できたのは母親のおかげだと博士は考えている。

 実際に職業を選択する段階になると、博士は父親から軍に入るか銀行員になれと言われた。しかし、幸運なことに博士は軍の入隊検査で失格となった。「あの頃は、かなり優秀なスカッシュ選手だったから体も強いほうだった。だが、かかりつけの医者は、ちょっとした風邪による咳を気管支炎と診断した。ありがたいことに、それで軍人としての進路は完全に断たれた」

 代わりに博士はオックスフォード大学(University of Oxford)に入学。当初は古典文学を専攻したが、後に動物学に転向。博士課程修了後に書いた論文で扱った核移植が生涯の研究テーマになった。

 1971年、ガードン博士は母校オックスフォード大の最大の競争相手であるケンブリッジ大に移り、1989年に後に発生生物学およびがん生物学の権威となるウエルカムCRC研究所(現ガードン研究所)をケンブリッジ大学内に立ち上げた。(c)AFP