【3月12日 AFP】(一部更新)北京原人が生息していたのは、定説より約20万年時代をさかのぼった約78万年前――。南京師範大学の沈冠軍(Guanjun Shen)博士率いる米中合同研究チームによる研究結果が、11日の英科学誌「ネイチャー(Nature)」に発表された。

「北京原人」は、1920年代に中国・北京(Beijing)近郊の周口店(Zhoukoudian)で化石が発見されたホモ・エレクトスの総称で、道具を作り2足歩行をしていたとされる。

 研究チームは、最新の年代測定技術を駆使し、北京原人が周口店周辺に生息していたのは、78万年前ごろと断定した。

 周口店は初期人類の研究において最重要視されている土地。今回の発見が、人類の祖先が大陸を移動した時期やルートをめぐって専門家の間で議論を呼ぶのは必至だ。

■定説は東南アジア経由

 有力な定説では、ホモ・エレクトスは約200万年前にアフリカ大陸から集団移動を始め、アラビア半島を通過しインド亜大陸、東南アジアと移動してきたとされている。

 そこから、集団の一部は氷河期に陸橋を渡って現在のインドネシア・ジャワ(Java)島へ移動したと考えられている。ホモ・エレクトス化石は、1892年にジャワ島で最初に発見されており、160万年前のものと断定されている。

 定説によるとさらに、集団の別のグループが北に向かい、次第に北京の北部や西部地域に定住していったという。

■実際はグルジアからユーラシア大陸を横断か

 これに対し、新たに発表された北京原人の生息年代は、最近発表された複数の研究結果も考慮に入れると、ホモ・エレクトスが約180万年前に生息していた現在のグルジア付近から、ユーラシア大陸を横断してきた別の移動ルートの存在を示している。

 この場合、実際の移動距離は東南アジアを通る定説よりも短くなり、グルジアのドマニシ原人の化石が発見された場所とほぼ同緯度となると、ジャワ島のホモ・エレクトス研究を専門とするアイオワ大学(University of Iowa)のラッセル・ショホーン(Russell Ciochon)教授(人類学)は指摘している。(c)AFP