「約2500万年前の小アジアはアジア大陸と陸続きだった」、研究報告
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【3月3日 AFP】トルコ中部で発見された約2500万年前のサイの骨の分布を調べた結果、トルコの大部分にあたるアナトリア(Anatolia)地域が当時は水に囲まれていなかったことが分かった。フランスの研究チームが2月29日の英ロンドン・リンネ協会(Linnaean Society)発行「ズーロジカル・ジャーナル(Zoological Journal)」に発表した。
約2370万年前に終わった漸新世後期にアナトリア地域で生息していたサイ科のパラケラテリウム(Paraceratherium)の骨の分布から、アナトリア半島からアジア大陸へ続く道があったことが証明されたという。
2002年にトルコ中部のCankiri-Corum地域で長さ1.2メートルのパラケラテリウム前肢が発見され、これを形態学的に分析した結果、パキスタン、中国、モンゴルで発見された同時期の骨と一致することが分かった。つまり、アナトリアが当時もアジア大陸と水で分断されていたなら、このサイがアナトリアに来たはずはないというのだ。パラケラテリウムは、体高5メートル、体重15-20トンで角を持たず、マンモスよりも大型で、陸生では最大のほ乳動物とされている。
アナトリア半島(小アジア)はアジア大陸から突き出した半島で、北を黒海(Black Sea)、南を地中海(Mediterranean)、西をエーゲ海(Aegean)に囲まれている。この地域は長い間地震活動の影響を受けてきて、時には小アジアの東端でアナトリアプレート(Anatolian Block)とアラビアプレート(Arabian Plate)が激しく衝突することもあったとされている。
これまで多くの専門家は、これらのプレートが漸新世の期間中ずっと水によって分離されていたと結論づけていた。
これに対し、研究の主著者であるフランス・トゥールーズ大学(University of Toulouse)のPierre-Olivier Antoine氏は「この発見は、欧州とアジアの双方と陸続きだったことを証明している」と主張している。(c)AFP
約2370万年前に終わった漸新世後期にアナトリア地域で生息していたサイ科のパラケラテリウム(Paraceratherium)の骨の分布から、アナトリア半島からアジア大陸へ続く道があったことが証明されたという。
2002年にトルコ中部のCankiri-Corum地域で長さ1.2メートルのパラケラテリウム前肢が発見され、これを形態学的に分析した結果、パキスタン、中国、モンゴルで発見された同時期の骨と一致することが分かった。つまり、アナトリアが当時もアジア大陸と水で分断されていたなら、このサイがアナトリアに来たはずはないというのだ。パラケラテリウムは、体高5メートル、体重15-20トンで角を持たず、マンモスよりも大型で、陸生では最大のほ乳動物とされている。
アナトリア半島(小アジア)はアジア大陸から突き出した半島で、北を黒海(Black Sea)、南を地中海(Mediterranean)、西をエーゲ海(Aegean)に囲まれている。この地域は長い間地震活動の影響を受けてきて、時には小アジアの東端でアナトリアプレート(Anatolian Block)とアラビアプレート(Arabian Plate)が激しく衝突することもあったとされている。
これまで多くの専門家は、これらのプレートが漸新世の期間中ずっと水によって分離されていたと結論づけていた。
これに対し、研究の主著者であるフランス・トゥールーズ大学(University of Toulouse)のPierre-Olivier Antoine氏は「この発見は、欧州とアジアの双方と陸続きだったことを証明している」と主張している。(c)AFP