インカ帝国のミイラに弾痕、米大陸初の銃の犠牲者
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【6月21日 AFP】ペルーの首都リマ(Lima)近郊で1999年に発掘されたインカ帝国人とみられるミイラの中から、北南米最初の銃の犠牲者とみられる1体が確認された。米ナショナルジオグラフィック協会(National Geographic Society)の考古学者らが19日、発表した。
このミイラは頭がい骨に銃痕があり、約500年前にペルーを征服したスペイン人によって殺害された可能性が高いという。インカ帝国の遺跡があるリマ近郊のプルチュコ(Puruchuco)で1999年、道路工事の際に発掘された先住民のミイラ72体のうちの1体。これらのミイラの半数は、戦闘で死亡したとみられている。
ペルー人考古学者Guillermo Cock氏は、発掘されたミイラのうち3体に銃痕があり、頭部に負傷した1体について、「マスケット銃または火縄銃で撃たれた傷が死因だと確認された」とAFPに語った。
同氏によると、弾痕のある頭がい骨は2004年と2006年の2回、米コネティカット(Connecticut)州ウェストヘブン(West Haven)にあるニューヘブン大学(University of New Haven)のヘンリー・リー法医科学研究所(Henry C. Lee College of Criminal Justice and Forensic Sciences)で電子顕微鏡分析にかけられた。
その結果、頭がい骨の後頭部に発見された微量の金属の成分が、16世紀初頭に欧州人が使用していたマスケット銃あるいは火縄銃の弾と一致することがわかった。
Cock氏は、「スペインの征服時に殺害された先住民のミイラが確認されたのは史上初」だと述べ、1536年にフランシスコ・ピサロ(Francisco Pizarro)のスペイン遠征隊が、現在のリマ付近を掌握した際の戦闘で死亡したものとの見方を示した。
銃痕のあった残り2体については、分析はこれからだという。(c)AFP/Virginie Montet
このミイラは頭がい骨に銃痕があり、約500年前にペルーを征服したスペイン人によって殺害された可能性が高いという。インカ帝国の遺跡があるリマ近郊のプルチュコ(Puruchuco)で1999年、道路工事の際に発掘された先住民のミイラ72体のうちの1体。これらのミイラの半数は、戦闘で死亡したとみられている。
ペルー人考古学者Guillermo Cock氏は、発掘されたミイラのうち3体に銃痕があり、頭部に負傷した1体について、「マスケット銃または火縄銃で撃たれた傷が死因だと確認された」とAFPに語った。
同氏によると、弾痕のある頭がい骨は2004年と2006年の2回、米コネティカット(Connecticut)州ウェストヘブン(West Haven)にあるニューヘブン大学(University of New Haven)のヘンリー・リー法医科学研究所(Henry C. Lee College of Criminal Justice and Forensic Sciences)で電子顕微鏡分析にかけられた。
その結果、頭がい骨の後頭部に発見された微量の金属の成分が、16世紀初頭に欧州人が使用していたマスケット銃あるいは火縄銃の弾と一致することがわかった。
Cock氏は、「スペインの征服時に殺害された先住民のミイラが確認されたのは史上初」だと述べ、1536年にフランシスコ・ピサロ(Francisco Pizarro)のスペイン遠征隊が、現在のリマ付近を掌握した際の戦闘で死亡したものとの見方を示した。
銃痕のあった残り2体については、分析はこれからだという。(c)AFP/Virginie Montet