【10月28日 AFP】レオナルド・クラインロック(Leonard Kleinrock)氏は今からちょうど40年前のその日、フェースブック(Facebook)、ツイッター(Twitter)、ユーチューブ(YouTube)という存在など全く想像していなかった。

 クラインロック氏のチームは1969年10月29日、米カリフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)のコンピューターが別の研究所にあるコンピューターに「語りかける」通信実験を成功させた。これが、インターネット誕生の瞬間だ。

 29日には、UCLAでインターネット「40歳」の誕生パーティーが開かれる。その準備をしながら、クラインロック氏は「次々と登場するアプリケーションには驚かされてばかりだ」と語った。

 クラインロック氏は当時、コンピューターは互いに会話できるよう運命付けられているとの確信に突き動かされていた。また、そこから生まれるネットワークは電話のように使いやすいものであるべきだと考えていた。

 インターネットは今や、オンラインソーシャルネットワーキングやコンテンツ共有の時代に突入している。「あの頃は、コンピューター対コンピューターの会話のことばかりで、人対人になってゆくとは思いもしなかった」(クラインロック氏)

 コンピューター同士でデータを交換させるためには、デジタル化した情報をパケットに分断し、オンデマンドでこれらを送信する。クラインロック氏は修士論文でこの概念を説明し、これは1962年に本として出版されている。

 当時はどこの会社も、米通信大手AT&Tでさえ、この理論を歯牙にもかけなかった。「AT&Tに行って説明したら、『こんなの動くわけがない。たとえ動いたとしても、われわれは一切関わり合いをもちたくない』と言われました」

 だがやがて、冷戦真っただ中の1957年に旧ソ連が初の人工衛星「スプートニク(Sputnik)1号」の打ち上げに成功したことを受け、翌58年に設立された米国防総省の高等研究計画局(Advanced Research Projects AgencyARPA)が注目。クラインロック氏の理論に基づいたコンピューターネットワーク「ARPANET」を導入した。この回線は、あのAT&Tが敷設した。

 1969年9月2日、クラインロック氏のチームはインターフェース・メッセージ・プロセッサ(IMP)と「ホスト」コンピューターをケーブルでつなぎ、データの送受信の実験を行った。

 そして同年10月29日、別のコンピューターと専用回線で結び、初めてメッセージを送った。「LOG」という言葉を送ろうとして、「LO」を送ったところでシステムが故障してしまった。「LOは『これは驚いた(Lo and behold)』のLOだ。インターネットの最初にはふさわしいメッセージだ」

 同年末までに、データパケットをやりとりするコンピューターがさらに2台追加された。つまり、ARPANETのノード(ネットワークへの接続ポイント)は合計4つになった。「ネットワークを自由に切り分けることができた。このようなことが当初から可能だったことは非常に有益だった」
 
 1980年代後半になると、米国国立科学財団(National Science Foundation)がこのネットワークに一連のスーパーコンピューターを接続。より多くの科学者がオンラインコミュニティーに参加することを可能にした。

 そしてインターネットは、職場での電子メールシステムの形をとって一般大衆の注目を引くようになり、21世紀に突入するころにはインターネット関連企業が爆発的に生まれることとなった。

 クラインロック氏は、初めての「スパムメール」を経験したときのことを語ってくれた。「あれは1994年4月のことだった。われわれは、送ってきたやつらに対し、一斉に『(スパムを)やめろ』というメールを返信した。その量があまりにも多かったものだから、相手のコンピューターがクラッシュしてしまったんだ。つまり、いちばん最初のスパムメールは、意図せずにも最初のDoS攻撃(サービス妨害攻撃)というものを生み出してしまったというわけさ」

(c)AFP/Glenn Chapman