「キング・オブ・ポップ」M・ジャクソン、その栄光と転落
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【3月10日 AFP】米歌手マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)がこのほど、ロンドン(London)での復活公演を発表した。神童、音楽の天才、そして地球上で最も偶像化されたアーティストでもあるマイケルは、再び人々に「スリル」を与えることができるのだろうか?
1980年代、「キング・オブ・ポップ(King of Pop)」として君臨したマイケルだが、派手な言動、衝撃的な外見の変化、児童性的虐待疑惑などが輝かしいキャリアに影を落としている。
児童誘拐や性的虐待疑惑では2005年に無罪判決を受けたが、以降、世捨て人のような生活を送ってきた。無罪判決にもかかわらず、この裁判はボディブローのようにマイケルにダメージを与え、いまだに回復できていない。
成功を極めたころの斬新な音楽やダンス、音楽ビデオで、いまだにファンからは熱烈な支持を受けているが、最近のマイケルに対する注目は好意的なものではなく、整形手術、実子を窓からぶらさげるというふざけた行為、児童性的虐待疑惑などに集中している。
■ジャクソン・ファイブでデビュー
1958年8月29日に生まれたマイケルは、兄たちと結成したジャクソン・ファイブ(Jackson Five)としてデビュー。高音の歌声や見事なダンスでグループをリードするようになった。
1969年までに、ジャクソン・ファイブは伝説的レーベル、モータウン・レコード(Motown Records)と契約。レーベルを代表する最後の大物アーティストに仲間入りした。
ジャクソン・ファイブはモータウンからシングル7枚とアルバム3枚をリリースし、シングルはそれぞれ100万枚以上、アルバムはそれぞれ200万枚以上の売り上げを記録した。1976年にはエピックレコード(Epic Records)に移籍。
数々のヒットを飛ばしたにもかかわらず、マイケルは当時のことを不幸で孤独な日々だったと語る。最終的にグループは解散し、マイケルはソロ活動をスタートさせた。
■ソロ活動開始、『スリラー』が爆発的ヒット
1979年、クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)がプロデュースしたマイケル初のソロアルバム『オフ・ザ・ウォール(Off the Wall)』はディスコを中心に人気を博し、1000万枚を売り上げた。
マイケルとジョーンズは1982年の『スリラー(Thriller)』でも再びタッグを組んだ。このアルバムの売上枚数4100万枚という史上最高記録は現在も破られていない。
ニューヨーク(New York)のシラキュース大学(Syracuse University)でポップ・カルチャーを教えるロバート・トンプソン(Robert Thompson)教授は、マイケルの後々の問題は『スリラー』の驚異的ヒットに起因すると話す。
「マイケルは大きな財力、権力、名声を得たが、その結果現実から遠ざかってしまった」
『スリラー』に続き、1987年の『バッド(Bad)』と1991年の『デンジャラス(Dangerous)』もそれぞれ2000万枚、2100万枚を売り上げた。音楽ビデオで見せた官能的なダンスは、子どもっぽくてかわいらしいプライベートでのマイケルとは対照的だった。
1991年、ソニーミュージック(Sony Music)と契約。ミュージシャンとしては史上最高の契約と言われ、マイケルの取り分は明かされていないが、ソニーは10億ドル(約985億円)のセールスも可能と予測した。
■歯車が狂い始めた人生
しかし1993年、13歳の少年がマイケルに性的虐待を受けたと訴え、検察当局による捜査が始まった。
1年後、マイケルは2330万ドル(約22億円)を支払うことで少年の家族と示談を成立させた。マイケルはこれを今では後悔しているという。
示談成立でトム・スネドン(Tom Sneddon)検事が率いた捜査は打ち切りとなった。
生活がさらに複雑になるに伴い、マイケルの外見も劇的に変化した。皮膚の色が薄くなり、大がかりな整形手術を行ったことが見て取れるようになったのだ。ヴァニティ・フェア(Vanity Fair)誌は2003年、マイケルの鼻頭は人工のものだと報じた。
■私生活に関心、アルバムは不評
1994年、マイケルは、エルビス・プレスリー(Elvis Presley)の娘リサ・マリー・プレスリー(Lisa Marie Presley、当時26)と結婚して世間をアッと言わせた。2人の結婚生活は2年と続かず、タブロイド紙の格好の標的になった。私生活が話題になっても、音楽活動には関心が集まらなかった。
1995年6月、2枚組アルバム『ヒストリー パスト、プレズント・アンド・フューチャー ブック1(HIStory, Past, Present and Future Book I)』がリリースされた。ソニー・ミュージックが4000万ドル(約39億円)をつぎ込んだにもかかわらず、不評で売れ行きも悪かった。次のアルバム『インヴィシブル(Invincible)』も失敗に終わった。
そのころマイケルは、1997年に手術を受けた際に出会った看護師デビー・ロー(Debbie Rowe、当時37)さんと結婚。2人の子どもが生まれ、プリンス・マイケル(Prince Michael)、パリス・キャサリン(Paris Katherine)と名付けられたが、1999年に離婚した。
マイケルにはそのほか、別の女性との間に生まれた3人目の実子プリンス・マイケル2世 (Prince Michael II)がいるが、2002年11月にベルリン(Berlin)市内のホテルで、4階客室の窓からこの子をぶら下げるような行動を取り、大きな非難を浴びた。
■金銭トラブルも
マイケルのトラブルはさらに増加している。プロモーターやともに仕事をした人々に未払いで訴えられているのだ。前年11月には、バーレーン王子に700万ドル(約6億円)の返済を求めて訴えられたが、「友好的」な示談に至っている。
7月に予定されているコンサートに先駆け、4月にはマイケルの私物オークションが米ビバリーヒルズ(Beverly Hills)で開催される。これも、マイケルの置かれた状況の変化を表している。(c)AFP
1980年代、「キング・オブ・ポップ(King of Pop)」として君臨したマイケルだが、派手な言動、衝撃的な外見の変化、児童性的虐待疑惑などが輝かしいキャリアに影を落としている。
児童誘拐や性的虐待疑惑では2005年に無罪判決を受けたが、以降、世捨て人のような生活を送ってきた。無罪判決にもかかわらず、この裁判はボディブローのようにマイケルにダメージを与え、いまだに回復できていない。
成功を極めたころの斬新な音楽やダンス、音楽ビデオで、いまだにファンからは熱烈な支持を受けているが、最近のマイケルに対する注目は好意的なものではなく、整形手術、実子を窓からぶらさげるというふざけた行為、児童性的虐待疑惑などに集中している。
■ジャクソン・ファイブでデビュー
1958年8月29日に生まれたマイケルは、兄たちと結成したジャクソン・ファイブ(Jackson Five)としてデビュー。高音の歌声や見事なダンスでグループをリードするようになった。
1969年までに、ジャクソン・ファイブは伝説的レーベル、モータウン・レコード(Motown Records)と契約。レーベルを代表する最後の大物アーティストに仲間入りした。
ジャクソン・ファイブはモータウンからシングル7枚とアルバム3枚をリリースし、シングルはそれぞれ100万枚以上、アルバムはそれぞれ200万枚以上の売り上げを記録した。1976年にはエピックレコード(Epic Records)に移籍。
数々のヒットを飛ばしたにもかかわらず、マイケルは当時のことを不幸で孤独な日々だったと語る。最終的にグループは解散し、マイケルはソロ活動をスタートさせた。
■ソロ活動開始、『スリラー』が爆発的ヒット
1979年、クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)がプロデュースしたマイケル初のソロアルバム『オフ・ザ・ウォール(Off the Wall)』はディスコを中心に人気を博し、1000万枚を売り上げた。
マイケルとジョーンズは1982年の『スリラー(Thriller)』でも再びタッグを組んだ。このアルバムの売上枚数4100万枚という史上最高記録は現在も破られていない。
ニューヨーク(New York)のシラキュース大学(Syracuse University)でポップ・カルチャーを教えるロバート・トンプソン(Robert Thompson)教授は、マイケルの後々の問題は『スリラー』の驚異的ヒットに起因すると話す。
「マイケルは大きな財力、権力、名声を得たが、その結果現実から遠ざかってしまった」
『スリラー』に続き、1987年の『バッド(Bad)』と1991年の『デンジャラス(Dangerous)』もそれぞれ2000万枚、2100万枚を売り上げた。音楽ビデオで見せた官能的なダンスは、子どもっぽくてかわいらしいプライベートでのマイケルとは対照的だった。
1991年、ソニーミュージック(Sony Music)と契約。ミュージシャンとしては史上最高の契約と言われ、マイケルの取り分は明かされていないが、ソニーは10億ドル(約985億円)のセールスも可能と予測した。
■歯車が狂い始めた人生
しかし1993年、13歳の少年がマイケルに性的虐待を受けたと訴え、検察当局による捜査が始まった。
1年後、マイケルは2330万ドル(約22億円)を支払うことで少年の家族と示談を成立させた。マイケルはこれを今では後悔しているという。
示談成立でトム・スネドン(Tom Sneddon)検事が率いた捜査は打ち切りとなった。
生活がさらに複雑になるに伴い、マイケルの外見も劇的に変化した。皮膚の色が薄くなり、大がかりな整形手術を行ったことが見て取れるようになったのだ。ヴァニティ・フェア(Vanity Fair)誌は2003年、マイケルの鼻頭は人工のものだと報じた。
■私生活に関心、アルバムは不評
1994年、マイケルは、エルビス・プレスリー(Elvis Presley)の娘リサ・マリー・プレスリー(Lisa Marie Presley、当時26)と結婚して世間をアッと言わせた。2人の結婚生活は2年と続かず、タブロイド紙の格好の標的になった。私生活が話題になっても、音楽活動には関心が集まらなかった。
1995年6月、2枚組アルバム『ヒストリー パスト、プレズント・アンド・フューチャー ブック1(HIStory, Past, Present and Future Book I)』がリリースされた。ソニー・ミュージックが4000万ドル(約39億円)をつぎ込んだにもかかわらず、不評で売れ行きも悪かった。次のアルバム『インヴィシブル(Invincible)』も失敗に終わった。
そのころマイケルは、1997年に手術を受けた際に出会った看護師デビー・ロー(Debbie Rowe、当時37)さんと結婚。2人の子どもが生まれ、プリンス・マイケル(Prince Michael)、パリス・キャサリン(Paris Katherine)と名付けられたが、1999年に離婚した。
マイケルにはそのほか、別の女性との間に生まれた3人目の実子プリンス・マイケル2世 (Prince Michael II)がいるが、2002年11月にベルリン(Berlin)市内のホテルで、4階客室の窓からこの子をぶら下げるような行動を取り、大きな非難を浴びた。
■金銭トラブルも
マイケルのトラブルはさらに増加している。プロモーターやともに仕事をした人々に未払いで訴えられているのだ。前年11月には、バーレーン王子に700万ドル(約6億円)の返済を求めて訴えられたが、「友好的」な示談に至っている。
7月に予定されているコンサートに先駆け、4月にはマイケルの私物オークションが米ビバリーヒルズ(Beverly Hills)で開催される。これも、マイケルの置かれた状況の変化を表している。(c)AFP