ジョン・レノンの手書きの歌詞、約8900万円で落札
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【7月11日 AFP】ジョン・レノン(John Lennon)の楽曲「平和を我等に(Give Peace A Chance)」の手書きの歌詞が10日、ロンドン(London)で行われたクリスティーズ(Christie's)のオークションに出品され、予想落札額を上回る42万1250ポンド(約8900万円)で落札された。
クリスティーズによれば、落札したのは米国人だという。予想落札額は最高30万ポンド(約6300万円)だった。
オークションではこのほか、ビートルズの1967年のアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」のジャケット写真に使用されたドラムが、54万1250ポンド(約1億14000万円)で落札されている。
同曲が書かれたのは1969年。レノンと妻のオノ・ヨーコ(Yoko Ono)がモントリオール(Montreal)のザ・クイーン・エリザベス(The Queen Elizabeth、当時)ホテルのスイート1742で、平和を求めて8日間をベッドで過ごした反戦運動「ベッドイン」を行った最中に、レノンが作曲したものだ。
レノンは黒のフェルトペンで一枚の白いカードに書いたその手描きの歌詞を、当時16歳だったゲイル・レナード(Gail Renard)さんに渡した。レナードさんはホテルの厳重な警備をくぐり抜け、校内誌に掲載するためのインタビューをレノンに依頼した少女だ。1週間そこに滞在し、レノン夫婦と友人になったという。
「平和を我等に」のレコーディングは、「ベッドイン」の最終日に行われた。詩人のアレン・ギンズバーグ(Allen Ginsburg)、 「サイケデリック革命の父」といわれる作家ティモシー・リアリー(Timothy Leary)やカナダのハーレ・クリシュナ(Hare Krishna)寺院のメンバーが参加した。
同曲は、ビートルズのメンバーによる初のソロ作品となった。米国チャートでは14位に入り、特にベトナム戦争などの反戦歌として歌われた。
1964年にビートルズが初の米国でのコンサートを終え凱旋帰国した記念日にあたる10日、ビートルズの故郷リバプール(Liverpool)では、第1回ビートルズ・デー(Beatles Day)が開催された。市内ではトリビュートバンドによる演奏が行われ、人々はビートルズらしいもじゃもじゃ頭のかつらを着用してこの日を祝った。(c)AFP
クリスティーズによれば、落札したのは米国人だという。予想落札額は最高30万ポンド(約6300万円)だった。
オークションではこのほか、ビートルズの1967年のアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」のジャケット写真に使用されたドラムが、54万1250ポンド(約1億14000万円)で落札されている。
同曲が書かれたのは1969年。レノンと妻のオノ・ヨーコ(Yoko Ono)がモントリオール(Montreal)のザ・クイーン・エリザベス(The Queen Elizabeth、当時)ホテルのスイート1742で、平和を求めて8日間をベッドで過ごした反戦運動「ベッドイン」を行った最中に、レノンが作曲したものだ。
レノンは黒のフェルトペンで一枚の白いカードに書いたその手描きの歌詞を、当時16歳だったゲイル・レナード(Gail Renard)さんに渡した。レナードさんはホテルの厳重な警備をくぐり抜け、校内誌に掲載するためのインタビューをレノンに依頼した少女だ。1週間そこに滞在し、レノン夫婦と友人になったという。
「平和を我等に」のレコーディングは、「ベッドイン」の最終日に行われた。詩人のアレン・ギンズバーグ(Allen Ginsburg)、 「サイケデリック革命の父」といわれる作家ティモシー・リアリー(Timothy Leary)やカナダのハーレ・クリシュナ(Hare Krishna)寺院のメンバーが参加した。
同曲は、ビートルズのメンバーによる初のソロ作品となった。米国チャートでは14位に入り、特にベトナム戦争などの反戦歌として歌われた。
1964年にビートルズが初の米国でのコンサートを終え凱旋帰国した記念日にあたる10日、ビートルズの故郷リバプール(Liverpool)では、第1回ビートルズ・デー(Beatles Day)が開催された。市内ではトリビュートバンドによる演奏が行われ、人々はビートルズらしいもじゃもじゃ頭のかつらを着用してこの日を祝った。(c)AFP