路上の物売り少年、アフガンから米アカデミー賞授賞式へ
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【2月21日 AFP】アフガニスタンの首都カブール(Kabul)の路上で物売りをして家族を支える少年が、米ハリウッド(Hollywood)で24日に行われる第85回アカデミー賞(Academy Awards)授賞式に出席する。
ファワド・モハマディ(Fawad Mohammadi)君(14)は、有名なチキンストリート(Chicken Street)で物売りをして家族の生計を支えてきた。今年のアカデミー賞の短編実写映画賞(Best Live Action Short Film)にノミネートされているサム・フレンチ(Sam French)監督(米国)の『Buzkashi Boys(ブズカシ・ボーイズ)』で、モハマディ君は主役の1人を演じている。
頭を切り落としたヤギの胴体をボール代わりに奪い合う騎馬競技で、アフガニスタンの国技といわれる「ブズカシ」の騎士になることを夢見る2人の少年。1人は実際のモハマディ君と同じ路上暮らしの少年、もう1人は父親の暗い鍛冶場で1日何時間も斧の刃を研いで過ごしている少年で、同年のジャワンマード・パイズ(Jawanmard Paiz)君が演じている。映画は2人が12歳のときに撮影された。
モハマディ君にとって、飛行機に乗るのも、戦火で荒廃したアフガニスタンから出るのも人生で初めてだ。世界のスーパースターたちに会える米国への旅は「僕にとっても、アフガニスタン人みんなにとっても素晴らしい名誉」だというモハマディ君が、将来なりたいものはパイロットだ。旅立つ前、ロサンゼルスまでのフライトの間に操縦室を見学できたらいいのにと話した。また映画俳優にも興味はある。「アフガニスタン映画を見て育ってきた。俳優になれたらなあと思っていたら、チキン・ストリートでサム・フレンチ監督に会ったんだ」
モハマディ君は7人きょうだいの末っ子だ。数年前に父親が亡くなり、5人の兄は全員働いている。自分はチューイングガムから売り始め、商売を広げて外国人に地図や辞書を売るようになった。英語は、アフガニスタンのカーペットや宝石、工芸品を買おうとする外国人客に人気のチキン・ストリートで物を売っている間に覚えた。
その路上で最も親切で温かい少年がモハマディ君だったと言うフレンチ監督は、「演じるのではなく、素のままの彼自身でいてもらうこと」が鍵だったと語る。「心が広い性格は、我々が描いていたキャラクターそのものだった。だからできるだけ素のまま、個人レベルでストーリーとつながってほしかった。素晴らしい仕事をしてくれたと思う」
共演のパイズ君は対照的に有名俳優の息子で、5歳で子役を始め、これまで数本の映画に出演している。カンヌ映画祭に行ったこともある。そのパイス君はモハマディ君について「ファワドの演技を最初に見たとき、彼は道で物売りをしているのに、こんなにすごい才能があって、セットにいた僕たちみんなが驚いたんだ」と語る。
かつて栄えていたアフガニスタンの映画産業は30年を超える戦火、中でも音楽や映画を禁じた1996-2001年の旧勢力タリバン(Taliban)政権によって打ちひしがれ、現在必死に再起を図っている。「ロケ地や機材の確保でかなり苦労した」とフレンチ監督は言う。「撮影前に1年以上をかけてアフガニスタン政府の協力を取り付け、全ロケ地での警察による警護を確保した」
今回の映画がきっかけになって集められた募金の一部は、モハマディ君の学費と家族の支援にあてられる。しかしモハマディ君は、映画の成功がもたらした夢に流されることはないと誓っている。「これからも地図と辞書を売りながら、学校に行こうと思う」
(c)AFP/Mushtaq Mojaddidi
ファワド・モハマディ(Fawad Mohammadi)君(14)は、有名なチキンストリート(Chicken Street)で物売りをして家族の生計を支えてきた。今年のアカデミー賞の短編実写映画賞(Best Live Action Short Film)にノミネートされているサム・フレンチ(Sam French)監督(米国)の『Buzkashi Boys(ブズカシ・ボーイズ)』で、モハマディ君は主役の1人を演じている。
頭を切り落としたヤギの胴体をボール代わりに奪い合う騎馬競技で、アフガニスタンの国技といわれる「ブズカシ」の騎士になることを夢見る2人の少年。1人は実際のモハマディ君と同じ路上暮らしの少年、もう1人は父親の暗い鍛冶場で1日何時間も斧の刃を研いで過ごしている少年で、同年のジャワンマード・パイズ(Jawanmard Paiz)君が演じている。映画は2人が12歳のときに撮影された。
モハマディ君にとって、飛行機に乗るのも、戦火で荒廃したアフガニスタンから出るのも人生で初めてだ。世界のスーパースターたちに会える米国への旅は「僕にとっても、アフガニスタン人みんなにとっても素晴らしい名誉」だというモハマディ君が、将来なりたいものはパイロットだ。旅立つ前、ロサンゼルスまでのフライトの間に操縦室を見学できたらいいのにと話した。また映画俳優にも興味はある。「アフガニスタン映画を見て育ってきた。俳優になれたらなあと思っていたら、チキン・ストリートでサム・フレンチ監督に会ったんだ」
モハマディ君は7人きょうだいの末っ子だ。数年前に父親が亡くなり、5人の兄は全員働いている。自分はチューイングガムから売り始め、商売を広げて外国人に地図や辞書を売るようになった。英語は、アフガニスタンのカーペットや宝石、工芸品を買おうとする外国人客に人気のチキン・ストリートで物を売っている間に覚えた。
その路上で最も親切で温かい少年がモハマディ君だったと言うフレンチ監督は、「演じるのではなく、素のままの彼自身でいてもらうこと」が鍵だったと語る。「心が広い性格は、我々が描いていたキャラクターそのものだった。だからできるだけ素のまま、個人レベルでストーリーとつながってほしかった。素晴らしい仕事をしてくれたと思う」
共演のパイズ君は対照的に有名俳優の息子で、5歳で子役を始め、これまで数本の映画に出演している。カンヌ映画祭に行ったこともある。そのパイス君はモハマディ君について「ファワドの演技を最初に見たとき、彼は道で物売りをしているのに、こんなにすごい才能があって、セットにいた僕たちみんなが驚いたんだ」と語る。
かつて栄えていたアフガニスタンの映画産業は30年を超える戦火、中でも音楽や映画を禁じた1996-2001年の旧勢力タリバン(Taliban)政権によって打ちひしがれ、現在必死に再起を図っている。「ロケ地や機材の確保でかなり苦労した」とフレンチ監督は言う。「撮影前に1年以上をかけてアフガニスタン政府の協力を取り付け、全ロケ地での警察による警護を確保した」
今回の映画がきっかけになって集められた募金の一部は、モハマディ君の学費と家族の支援にあてられる。しかしモハマディ君は、映画の成功がもたらした夢に流されることはないと誓っている。「これからも地図と辞書を売りながら、学校に行こうと思う」
(c)AFP/Mushtaq Mojaddidi