【5月18日 AFP】「1対2」は、実生活では複雑すぎる――。現在開催中の第61回カンヌ国際映画祭(Cannes Film Festival)で17日、『Vicky Cristina Barcelona』のプレス上映会と記者会見が行われ、ウディ・アレン(Woody Allen)監督と主演のペネロペ・クルス(Penelope Cruz)が語った。

■三角関係を描いたラブストーリー

 コンペティション部門外作品として出品された本作品で、クルスは実生活でも交際を噂されているハビエル・バルデム(Javier Bardem)演じる、元夫のフアン・アントニオ(Juan Antonio)に未練を残す気性の激しいスペイン人女性を演じている。

 しかしミステリアスな魅力をもつ画家のアントニオは、夏の間をバルセロナ(Barcelona)で過ごす2人のアメリカ人女性に惹かれる。1人はスカーレット・ヨハンソン(Scarlett Johansson)演じる大胆なクリスティーナで、もう1人はレベッカ・ホール(Rebecca Hall)演じる控えめなビッキーだ。

 アントニオはレストランで見かけた美しい2人にすぐに声を掛ける。そして、自分の故郷オビエド(Oviedo)で観光やセックスをする週末を過ごそうという厚かましい提案をする。ヨハンソン演じる奔放なクリスティーナはこの提案に乗るが、ホール演じるビッキーは、ニューヨーク(New York)に堅実な「ウォール街タイプ」の婚約者がいて、しり込み気味だ。

 しかし、クリスティーナが体調を崩し、ビッキーだけがアントニオとともに街をめぐり、アントニオの父の家を訪ねることになる。ビッキーは強くひきつけられ、結局はアントニオの腕に抱かれる。クリスティーナはすぐに体調を取り戻すと、ビッキーとアントニオとの情事には気づかぬままアントニオとの関係を深め、彼の元に引っ越す。

 そこで、誰も予想しなかったアントニオの元妻マリア(クルス)が出現する。

 自殺未遂の経験をもち、アントニオに執着するマリアも、自分が元通り健康になるよう面倒をみることができるのはアントニオしかいないと言いながら、クリスティーナがいるアントニオの家に移ってくる。その結果、風変わりな三角関係が始まる。

 一方、ビッキーは恋人のブラッドとバルセロナで合流するが、アントニオと過ごした夜ばかりを思い出してしまう。

 アントニオと3人で住み始めたマリアとクリスティーナは、最初は互いを警戒するが、やがて女性同士の友情から関係はさらに発展していく。

 圧巻はクリスティーナ(ヨハンソン)とマリア(クルス)の女性同士の情熱的なキスシーン。2人が一緒にベッドに入り、そこにアントニオ(バルデム)が加わるシーンもある。

 3人は数週間、エデンの園のような幸せな時間を過ごすが、やがてクリスティーナが我慢できなくなり去る。しかし、残されたアントニオとマリアは、クリスティーナなしではまた互いにいがみ合うばかりだった。

 そして、すべての登場人物は映画の最後で、それぞれにとって重要な選択をする。

■「実生活では三角関係なんてあり得ない」
 
 2人の女性とのセックスという幻想について監督自身がもつ幻想を脚本にしたのかと尋ねられた72歳のアレン監督は、「女性1人の相手でも十分に難しいよ」と冗談を飛ばし、2人の恋人の間でバランスを保つのは手ごわいことだろうと語った。「実生活では真剣だったらそんな状況をやり過ごせる人間はほとんどいないと思う。複雑すぎるし、精神面にも悪すぎる。映画の中では現実を誇張した人物たちを描いているから、可能なんだ」

 上映会に姿を見せなかったバルデムとヨハンソンに関して、アレン監督はバルデムは家族の都合で来られず、ヨハンソンはスケジュールの調整がつかなかったと語った。

 カンヌの記者会見ではよく見られる光景だが、アレン監督にも非現実的な質問が飛んだ。ウズベキスタンから来たという記者は、自分の国では「家族の中に妻という立場で何人もの女性がいる」が、そのウズベキスタンで映画を撮る予定はないかと質問した。これに対しアレン監督は「いろんなところに行くのは恐くてね」とさりげなく返した。

 クルスも、三角関係は幻想にすぎないと語った。「私が演じるマリアは、とても奇妙なことをするわ。理解はできるけど、私だったら違う選択をするでしょうね」

 クルスとバルデムのシーンは楽しさにあふれ、スペイン語と英語でのけんかの場面は最も大きな笑いを誘う一場面だ。

 アレン監督はクルスをイメージして脚本を書いたという。クルスは会見で監督を「天才」と呼んだ。シーンに合うならばクルスとバルデムが母国語のスペイン語と英語とで切り替えて話すことを監督が許可してくれたことを披露しつつ、「英語のシーンでは恐くて何も変えられなかったわ。ウディ・アレンのせりふは変えられないでしょう?」と語った。

 同作品は全体的なトーンは軽いが、ストーリーはウディ・アレンならではの皮肉とユーモアのこもった愛、芸術、人間の存在意義に対する見方が色濃く表れている。(c)AFP/Deborah Cole

カンヌ国際映画祭の公式ウェブサイト(英語)