2008サンダンス映画祭、巨匠ポランスキー監督のスキャンダル描く作品に注目
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【1月21日 AFP】国際的評価を得ているロマン・ポランスキー(Roman Polanski、74)監督が30年前、13歳の少女と性交した罪で有罪判決を受け米国から逃亡した事件を描くドキュメンタリー映画が、現在開催中の2008年サンダンス映画祭(2008 Sundance Film Festival)でプレミア上映された。
Marina Zenovich監督が手掛けた同作品のタイトルは、『Roman Polanski: Wanted and Desired』。当時、ハリウッドで最も話題となり世界中の新聞紙面をにぎわせたセンセーショナルな性犯罪事件が、ポランスキー監督に同情的な視点から描かれている。
Zenovich監督は、この事件について、「ジャーナリストがスキャンダル記事のネタのために人を追い回した初の事件だった」と語る。「当時この事件への関心はきわめて高かった。記者たちは被害者のSamantha Gaileyさんの名前を突き止めると、通っていた学校、住んでいた家を探しだし、Gaileyさんやポランスキー監督を追い回した」
Zenovich監督は、裁判を担当した弁護士やGaileyさんのインタビュー内容、当時の映像、裁判書類、ポランスキー監督自身の過去のインタビュー映像などを頼りに、事実を明確に描いている。
この事件の判決が裁判長の誤審だったことは、当時の弁護団だけでなく被害者の目にも明らかだった。関係者たちが保護観察処分が妥当だと考えていたにもかかわらず、裁判長は未青年との違法性交を行ったポランスキー監督に対し、意図的に厳罰処分を課そうとしたのだという。
現在は3人の子どもの母親である被害者のGaileyさんも、「メディアの過熱報道に疲れ果て、訴えを取り下げたかった」と、作品の中で語っている。
だがこの裁判は現在も係争中で、フランス在住のポランスキー監督は逃亡犯のままだ。
Zenovich監督は、「すべての人が平等に扱われなければならない。この事件は、すべての関係者にとって悲劇で、そして悲しいことだと思う」と語っている。
『戦場のピアニスト(The Pianist)』で監督賞を受賞した2002年のアカデミー賞授賞式の際、ポランスキー監督がロサンゼルス(Los Angeles)を訪れるのではないかとのうわさが流れた。Zenovich監督はこの映画の制作を思いついたのは、そのときだったという。制作まで5年かかったが、事件からちょうど30年後に映画が公開されることは「ただの偶然」だそうだ。
その一方で、「厳格な清教徒主義の米国では罪が消えることはないと考える風潮があって、ポランスキー監督は疑念と軽蔑の目で見られている。同作品を見た米国人がポランスキー監督への感情を変えるかどうかについては疑わしい」と監督は述べている。(c)AFP/Michel Comte
Marina Zenovich監督が手掛けた同作品のタイトルは、『Roman Polanski: Wanted and Desired』。当時、ハリウッドで最も話題となり世界中の新聞紙面をにぎわせたセンセーショナルな性犯罪事件が、ポランスキー監督に同情的な視点から描かれている。
Zenovich監督は、この事件について、「ジャーナリストがスキャンダル記事のネタのために人を追い回した初の事件だった」と語る。「当時この事件への関心はきわめて高かった。記者たちは被害者のSamantha Gaileyさんの名前を突き止めると、通っていた学校、住んでいた家を探しだし、Gaileyさんやポランスキー監督を追い回した」
Zenovich監督は、裁判を担当した弁護士やGaileyさんのインタビュー内容、当時の映像、裁判書類、ポランスキー監督自身の過去のインタビュー映像などを頼りに、事実を明確に描いている。
この事件の判決が裁判長の誤審だったことは、当時の弁護団だけでなく被害者の目にも明らかだった。関係者たちが保護観察処分が妥当だと考えていたにもかかわらず、裁判長は未青年との違法性交を行ったポランスキー監督に対し、意図的に厳罰処分を課そうとしたのだという。
現在は3人の子どもの母親である被害者のGaileyさんも、「メディアの過熱報道に疲れ果て、訴えを取り下げたかった」と、作品の中で語っている。
だがこの裁判は現在も係争中で、フランス在住のポランスキー監督は逃亡犯のままだ。
Zenovich監督は、「すべての人が平等に扱われなければならない。この事件は、すべての関係者にとって悲劇で、そして悲しいことだと思う」と語っている。
『戦場のピアニスト(The Pianist)』で監督賞を受賞した2002年のアカデミー賞授賞式の際、ポランスキー監督がロサンゼルス(Los Angeles)を訪れるのではないかとのうわさが流れた。Zenovich監督はこの映画の制作を思いついたのは、そのときだったという。制作まで5年かかったが、事件からちょうど30年後に映画が公開されることは「ただの偶然」だそうだ。
その一方で、「厳格な清教徒主義の米国では罪が消えることはないと考える風潮があって、ポランスキー監督は疑念と軽蔑の目で見られている。同作品を見た米国人がポランスキー監督への感情を変えるかどうかについては疑わしい」と監督は述べている。(c)AFP/Michel Comte