【8月2日 AFP】ローマにあるシティーホール、カンピドリオ(Campidoglio)で1日、前月30日に亡くなったイタリアの伝説的映画監督ミケランジェロ・アントニオーニ(Michelangelo Antonioni)の弔問が行われ、多くの人が列をつくった。

 「アントニオは素晴らしい人だった。まず第1に男の人であり、そして芸術家、また監督だった」と残されたアントニオの妻Enrica Ficoさんは報道陣に語った。「夫と過ごした35年間はとても沢山の出来事で溢れていたわ、それに静けさも。コミュニケーションの方法はいろいろだったわ。ときには叫んだりしてね」と付け加える。

 「『あなたはいつも女の人を見ている』って夫に言うわ。そしたら『それが俺の仕事だ』って答えるでしょうね」とも話す。

 棺が安置されている一室「Sala della Protomoteca」の壁に掛けられた大きなスクリーンには、アントニオーニの作品が投影された。フランチェスコ・ルテリ文化相(Francesco Rutelli)は「イタリアは20世紀の偉大な映画監督を亡くした。アントニオーニは、自身の作品でイタリア人全員の話題の的となった。イタリアの映画にはアントニオーニとフェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini)がいて、アントニオーニは魂の研究で、フェリーニは夢の研究であった」と話す。

 アントニオーニは、スウェーデンの伝説的な映画監督、イングマール・ベルイマン(Ingmar Bergman)が亡くなった同日の30日にローマにある自宅で、94歳で帰らぬ人となった。アントニオーニの映画作品数は20ほどだが、フェリーニや故ロベルト・ロッセリーニ(Roberto Rossellini)など恵まれた伝統的な映画監督の一人だった。

 1960年代に映画『欲望(Blowup)』、『砂丘(Zabriskie Point)』などの作品で一躍表舞台に現れた。『欲望』は1967年のカンヌ国際映画祭のパルム・ドール(Palme d'Or)に選ばれ、1964年には『赤い砂漠(Il deserto rosso)』でヴェネチア国際映画祭サン・マルコ金獅子賞を受賞。1983年には特別金獅子生涯功労賞、後にはアカデミー賞名誉賞を受賞している。

 1985年に脳梗塞を患い体が部分的に麻痺するが、90歳になった2002年には、イタリア映画界から敬意をもって祝福されている。

 アントニオーニは2日の朝、出生地の北イタリアのフェラーラ(Ferrara)で埋葬される。(c)AFP