インド人名監督ミーラー・ナイールが新作「The Namesake」を語る - フランス
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【パリ/フランス 31日 AFP】インドから米国へ移り住んだ移民夫婦の30年の足跡を描いた大作映画「The Namesake」が先日公開されたばかりの、インド人監督ミーラー・ナイール(Mira Nair)はインタビューで、同作品は「自分が育ったコルカタとニューヨークという2つの都市をつなげるチャンスをくれた」と語った。
■異文化の関わり合いに目を向けるナイール
「大きな鍵となったのは、ユニークで驚くべき両都市の共通点です」文化の交差点の探求を好む49歳の同監督は語った。
「世界の間で生きるということは、ニューヨークの窓から外を覗くと、ハドソン川の代わりにガンジス川が見えるようなものです」
■高い評価を受けたデビュー作
1988年、ストリートで茶を売って生きる少年を描いた長編映画「サラーム・ボンベイ!(Salaam Bombay !)」でデビューを果たしたナイール監督は、同作品でアカデミー賞(Academy Awards)の最優秀外国語映画賞にノミネートされ、カンヌ国際映画祭(Cannes Film Festival)ではカメラドール(Camera d’Or:新人監督賞)受賞の快挙を成し遂げた。
数個の賞を受賞をした91年の映画「ミシシッピー・マサラ(Mississippi Masala)」は、米国と監督の夫の出身地であるウガンダを舞台にした、異人種間のラブストーリーである。
「このストーリーにある感情は実体験でもあります」インドに生まれ、19歳の時ハーバード大学入学のために米国に渡るまで、デリーで教育を受けてきたナイール監督は言う。
「私は米国でも、今だに冬に靴下を履きません。綿のサリーに夫のコート、サイズの大きすぎる手袋を身に付けたAshima(本作品に登場する妻)は、足に何を履けばいいのか分からず、雪の降るニューヨークで洗濯物を運びます。この光景は私が米国で30年の間見てきたものですが、スクリーンに登場したことはありませんでした」
映画祭ではすでに上映されてきて、今週一般公開を迎えた「The Namesake」は、ニューヨークに移り住み、2人の子供を育て上げる、親の取り決めによって結婚したインド人カップルの人生を追ったもの。父親の死で息子は自らのルーツに戻っていく。
「この話で私は古い世界を撮る機会を得ましたが、それと同時に、今のニューヨークにある現代アジアの洗練された文化を収めることも出来ました。アートと文学の爆発、音楽やファッション、その全てで今西欧諸国に住む南アジア人たちは自信を得ています」
この映画で、主人公夫婦の親の取り決めによる結婚は順調に運ぶ一方、その息子が米国の女の子に抱く恋心はうまくいかない。
「それが人生の予想できない点です。私が人生で好きなところもそれです。事実は小説よりも遙かに奇なり!というのはよくあることですよ」ナイール監督はAFPの取材にこう語った。
「政略結婚は賭けですが、それは両親が結婚というものは最良の時でさえ酷いものだと思っているという原則の元に成り立っています。それなので両親は、子どもを自分たちの家庭とかなり似た家の子どもと結婚させてもいいと思うのです。これは、一度結婚してしまうともう選択肢はなく、その状態でどうにかするしかなくなる文化から発生したものでもあります」
「しかし若い世代では、結婚相手のいびきが嫌だと思えば離婚できる。それが自由です」
■プロットに見られる“ひねり”
ピューリツァー賞(Pulitzer Prize)受賞作家ジュンパ・ラヒリ(Jhumpa Lahiri)の小説を基にした「The Namesake」には、文化的な相違があろうがなかろうが人との関係をうまく行かせるための簡単な方法などないというプロットのひねりがある。
「人生はそんなに単純なものではありません。方式などありません…でも、その先の読めない点が私は好きなのです」
「モンスーン・ウェディング(Monsoon Wedding)」や「悪女(Vanity Fair)」などの成功作を手掛けてきたナイール監督は、インド、日本、米国から出資された本作の製作費集めにはほとんど苦労しなかったという。
「900万ドル(約10億円)から1000万ドル(約12億円)の規模で、白人のスター俳優は出演しないインド映画の資金を集めるには、こういうやり方がより簡単です。あるハリウッドの人が私に言いました『白人の金で作られる非白人映画だね』、本当にこんな風にいったんですよ!」
「映画ビジネスは本当にお金に反応します。成功すれば彼等は出資してきます。それがコツです」
「自分を夢中にさせる映画を作ってきたというだけです。「The Namesake」は本当に私の心臓の鼓動を早くしましたし、私の知るこの2つ世界を結ぶようなものを作ることは、とても楽しかったです」
写真は第1回ローマ国際映画祭(Rome Film Festival)に出席した際のナイール監督(2006年10月16日撮影)。(c)AFP/TIZIANA FABI
■異文化の関わり合いに目を向けるナイール
「大きな鍵となったのは、ユニークで驚くべき両都市の共通点です」文化の交差点の探求を好む49歳の同監督は語った。
「世界の間で生きるということは、ニューヨークの窓から外を覗くと、ハドソン川の代わりにガンジス川が見えるようなものです」
■高い評価を受けたデビュー作
1988年、ストリートで茶を売って生きる少年を描いた長編映画「サラーム・ボンベイ!(Salaam Bombay !)」でデビューを果たしたナイール監督は、同作品でアカデミー賞(Academy Awards)の最優秀外国語映画賞にノミネートされ、カンヌ国際映画祭(Cannes Film Festival)ではカメラドール(Camera d’Or:新人監督賞)受賞の快挙を成し遂げた。
数個の賞を受賞をした91年の映画「ミシシッピー・マサラ(Mississippi Masala)」は、米国と監督の夫の出身地であるウガンダを舞台にした、異人種間のラブストーリーである。
「このストーリーにある感情は実体験でもあります」インドに生まれ、19歳の時ハーバード大学入学のために米国に渡るまで、デリーで教育を受けてきたナイール監督は言う。
「私は米国でも、今だに冬に靴下を履きません。綿のサリーに夫のコート、サイズの大きすぎる手袋を身に付けたAshima(本作品に登場する妻)は、足に何を履けばいいのか分からず、雪の降るニューヨークで洗濯物を運びます。この光景は私が米国で30年の間見てきたものですが、スクリーンに登場したことはありませんでした」
映画祭ではすでに上映されてきて、今週一般公開を迎えた「The Namesake」は、ニューヨークに移り住み、2人の子供を育て上げる、親の取り決めによって結婚したインド人カップルの人生を追ったもの。父親の死で息子は自らのルーツに戻っていく。
「この話で私は古い世界を撮る機会を得ましたが、それと同時に、今のニューヨークにある現代アジアの洗練された文化を収めることも出来ました。アートと文学の爆発、音楽やファッション、その全てで今西欧諸国に住む南アジア人たちは自信を得ています」
この映画で、主人公夫婦の親の取り決めによる結婚は順調に運ぶ一方、その息子が米国の女の子に抱く恋心はうまくいかない。
「それが人生の予想できない点です。私が人生で好きなところもそれです。事実は小説よりも遙かに奇なり!というのはよくあることですよ」ナイール監督はAFPの取材にこう語った。
「政略結婚は賭けですが、それは両親が結婚というものは最良の時でさえ酷いものだと思っているという原則の元に成り立っています。それなので両親は、子どもを自分たちの家庭とかなり似た家の子どもと結婚させてもいいと思うのです。これは、一度結婚してしまうともう選択肢はなく、その状態でどうにかするしかなくなる文化から発生したものでもあります」
「しかし若い世代では、結婚相手のいびきが嫌だと思えば離婚できる。それが自由です」
■プロットに見られる“ひねり”
ピューリツァー賞(Pulitzer Prize)受賞作家ジュンパ・ラヒリ(Jhumpa Lahiri)の小説を基にした「The Namesake」には、文化的な相違があろうがなかろうが人との関係をうまく行かせるための簡単な方法などないというプロットのひねりがある。
「人生はそんなに単純なものではありません。方式などありません…でも、その先の読めない点が私は好きなのです」
「モンスーン・ウェディング(Monsoon Wedding)」や「悪女(Vanity Fair)」などの成功作を手掛けてきたナイール監督は、インド、日本、米国から出資された本作の製作費集めにはほとんど苦労しなかったという。
「900万ドル(約10億円)から1000万ドル(約12億円)の規模で、白人のスター俳優は出演しないインド映画の資金を集めるには、こういうやり方がより簡単です。あるハリウッドの人が私に言いました『白人の金で作られる非白人映画だね』、本当にこんな風にいったんですよ!」
「映画ビジネスは本当にお金に反応します。成功すれば彼等は出資してきます。それがコツです」
「自分を夢中にさせる映画を作ってきたというだけです。「The Namesake」は本当に私の心臓の鼓動を早くしましたし、私の知るこの2つ世界を結ぶようなものを作ることは、とても楽しかったです」
写真は第1回ローマ国際映画祭(Rome Film Festival)に出席した際のナイール監督(2006年10月16日撮影)。(c)AFP/TIZIANA FABI