【2月13日 senken h】時代を盛り上げる注目の人、トレンドを作り出すショップ・プロダクトなど、日本の次世代をリードしそうなクリエーティブなヒト・モノ・コトにフォーカスする新企画「アッシュ・インキュベーション」。

  第1回目は今、東京モードのニュージェンレーションとして注目を集めるファッションブランド「ファセッタズム」の落合宏理デザイナー。ストリートとモードとサブカルチャーがミックスした今の日本を体現したハイブリッドなデザインで国内外の評価を高める彼。90年代にファッションを体験した感覚と、若き日に積み重ねた服作りの着実な経験がその魅力の根底にある。

 昨年の東京コレクションではオープニングゲストの安室奈美恵さんが着用したドレスを作り、ショーのトップバッターも飾った次世代の旗手は今、何を思う――

■モードじゃなかったものをモードにしていく

――「東京モードの次世代」といった言葉で注目を集めている。ファセッタズムが描く東京らしさ、自分たちらしさとはどんなことだと思う?

  東京っぽいよねとか、ニュージェネレーションと言ってもらうことは自分でも納得できるし、そうなんだと思う。僕は90年代、10代の時にファッションの原体験を得ました。その時代って、「ラルフローレン」みたいなトラッドから「ナイキ」のハイテクスニーカー、「リーバイス」のビンテージに「アベイシングエイプ」や「アンダーカバー」のウラハラ(裏原宿)ブーム、モードでもアントワープ・シックス(「マルタン・マルジェラ」「ドリス ヴァン ノッテン」などアントワープ王立芸術アカデミー出身の6人のデザイナーが時代を引っ張った現象)などいろいろなカルチャーが同時並行で盛り上がった。しかもそれが、それぞれ別のムラの話ではなくって、アントワープ・シックスとエイプやナイキをミックスして着こなすのが浸透した時代。この感覚が自分のルーツだし、同年代の「アンリアレイジ」の(デザイナー)森永邦彦くんや「ホワイトマウンテニアリング」の相澤陽介くんなんかも交流があるけど同じ感覚だと思う。前の時代には垣根があって簡単には超えなかったような境界線を自由に超えてミックスしていく感じ。面白いものは何でも取り入れていく感覚。90年代に経験したそういう時代感が今デザインする上では自分の武器と思っています。いま紀の羊飼いの服とかコルセットとかのクラシックな洋服の歴史に、グラフィティアートを掛け合わせた。グラフィティーをシックなレースに刺繍したデザインのように、クラシックとストリートアートをミックスした。

 こういうストリートとかポップカルチャーがハイファッションと融合している姿が東京だと思います。エレガントなドレスやテーラードをヨーロッパのようにやってもそれは向こうの土俵だし、真似になっちゃう。僕たちの世代は、モードじゃなかったものをモードにしていくこと、ハイファッションとハイブリッドしていくこと。これが大事なんじゃないかと。その中で今、東京に欠けていること、自分がやったら面白いことって何だろうと いつも考えてデザインしています。

――ストリートやポップなノリがあるのに、実際の服は生地からとても考え抜かれていて、見た目とは対照的に真面目で職人的な印象。どんなキャリアでこういう服が生まれるのか?

 10代の頃、服が好きでファッションデザイナーになりたくて文化服装学院のアパレルデザイン科に入ったんです。卒業の頃は自分のブランドやるんだって、就職活動をひとつもしませんでした(笑)。でも当然現実は甘くなくて、どうやってデザインを仕事にして行こうか悩んでいたとき、知り合いを通じて、デザイナーブランド向けの生地屋ギルドワークに入ったんです。大好きだったアンダーカバーの生地なんかも担当できるかな、くらいの気持ちで。8年間のギルドワークの経験で服のもっとも基本的な要素である生地を勉強できたのは大きかった。ファセッタズムでもすべての生地がオリジナルデザインですが、ポップでストリートなノリを入れた服でもしっかりしたハイレベルなファッションにするには生地の知識とかモノ作りの力が土台になっていると感謝しています。

 それからファッションを影で支えている職人さんとか工場さんとか、現場の作り手の気持ちがすごく分かりました。若いデザイナーを粋に感じて、儲けが少なくても作ってくれる職人さんや影のサポーターがいてファッションブランドが成り立っている。こういう人たちに報いるように、しっかりと評価されて売れるビジネスもしないと行けない。世界にも発信していきたい、そういう責任感も与えてもらいましたね。

■どこかはかなくて美しい服でありたい

――ファセッタズムの服は、奇抜でアグレッシブなエッセンスがあるのに、トータルルックではどこか情緒的。どんな気持ちでデザインしている?

 29歳でファセッタズムを立ち上げたんですけど、最初は全然売れなくて。ホント食えなかったですよ(笑)。売れないので何がいけないのか考えた。そこでやっぱりデザイナーが作る服なんで、美しいもの、心に響くストーリーがある服を揃えて世界観を作らないとダメだなって痛感しました。

 ストリートカルチャーって明るくてポップな印象があるけど、僕にとってはちょっと違う。何の理由もないのに空をみたら泣きたくなる、そんなちょっとガスヴァンサントの映画みたいな感性がストリートやポップアートだったりすると思うんです。みんなが良いと言うクラシックで確立された美意識とは違う、アウトサイダーがちょっと寂しさを感じながら世の中を眺めているような。僕はここにいるよっていう言葉にできない自分の存在確認の発露としてのストリートカルチャーという気もします。そんな気持ちを常にファセッタズムのコレクションにも漂わせたいと思っています。僕自身がそういう人間なんで。

――これからの目標は?

 運が良かっただけですが、安室さんにはその後のPVとかライブの衣装も作らせてもらって、ファッションショーもトップでできて多くの人の目に触れることはできた。でもまだまだ。デザインも品質ももっと上を目指さないといけない。それから不況でファッションデザイナーもビジネスをしっかり考えないといけない時代と思う。セカンドラインを出すとかTシャツラインを作るとかだけじゃない、何か新しい形でビジネスとクリエーションのバランスのとり方がないか模索中です。

 あとは直営店を持つことと海外にもっと勝負をしてみたい。これだけいろんなモノゴトが凝縮している面白い場所って東京の他にない。この東京のファッションの魅力を世界にも伝えたいし、そうして東京を盛り上げたいですね。それは30代の僕ら世代共通の思いじゃないかな。

memo.

「アンダーカバー」が好きでデザイナーをめざし、活動を休止した「グリーン」の最後のショーを見て東コレ参加を決めた、まさに新世代。そんなエピソードを語るファッションマニアな口調とは裏腹に、デザイナーとしては生地作りからたたき上げた本格派。そんな異なる個性が魅力だ。ストリートの疾走感あふれる服を作りながら、「ビジネスとして会社としてももっと大きくなりたい」と話すスマートな印象の35歳。

【プロフィール】 落合宏理 Hiromichi OCHIAI 1977年東京生まれ。99年文化服装学院卒業、生地企画会社ギルドワークを経て、07年ファセッタズムをスタート。11年に東京コレクションデビュー、イタリアのファッション総合展ピッティ・ウォモ参加など、国内外で注目を集める。
(c)senken h

【関連情報】 ファセッタズム公式サイト<外部サイト>