ジョン・ガリアーノ 騒動後初のインタビュー、栄光からの転落に「感謝」
このニュースをシェア
【6月7日 AFP】人種差別的な発言をしたため2011年に「クリスチャン ディオール(Christian Dior)」を解雇されたデザイナー、ジョン・ガリアーノ(John Galliano)が、同スキャンダル以来初めてインタビューに応じた。米誌「ヴァニティ・フェア(Vanity Fair)」の取材に対しガリアーノは、アルコールや薬物と向き合わせてくれたこの機会に感謝していると語った。
6月4日に同誌ウェブサイトに掲載されたインタビューでガリアーノは、「少し妙に聞こえるかもしれませんが、私は一連の出来事に感謝しています」と言い、「私は、自分自身についてたくさんのことを学ぶことができました。“何かを作りたくてたまらない少年”という、長く失っていた姿を再発見できました。生き返った気分です」と今の心境を語った。
ガリアーノは2010年、2011年の騒動に続き、公の場で反ユダヤ的な発言をしたことに対してフランス法上合計6000ユーロ(約80万円)の罰金を科せられた。パリのバーで人種差別発言をしたところを映した動画が公開された後、米アリゾナにある施設でリハビリを受けた。
証拠となった動画についてガリアーノは「初めて見たとき、思わず吐いてしまいました」とコメント。「まるで、道路に出ようとした瞬間にバスかトラックが目の前を高速で走りぬけ、足から血の気が引くような感覚です。恐怖で震えて、動けなくなりました」とガリアーノ。当時の自分の行動に未だに困惑しており、発言は本心ではなかったと語る。「私の人生の中で最も不適切な発言でしたが、本心ではありませんでした。何故怒りの矛先をユダヤ人に向けてしまったのかずっと考えてきました」「当時自分自身に腹が立ち、不満がつのりすぎて、自分が言いうる最も悪意のある言葉を発してしまったのだと今やっと気が付きました」
スキャンダルの直前、ガリアーノはコントロールを失った人生を表す絵を描いており、自身のライフスタイルを変えなければ「精神病棟行きになるか、死ぬかだろう」と考えていたことを明かす。当時の生活について「私は、創造意欲を刺激したり、研究をするためにアルコールを飲んだことはありません。そういう意味でアルコールは必要はありませんでした。最初、アルコールはディオールの外での支えみたいなものでした。それからコレクションを終える毎に泥酔するように飲んでいました」
「皆と同じように、体調が戻るまでには2、3日かかりました。しかしコレクションが増えるにつれて飲む回数も増えて、アルコールに依存するようになりました。そのうち、眠れないので薬を飲み始め、体の震えを止めるためにまた別の薬に手を出す・・・。周りの人から大きな酒のボトルをもらったりして、最終的には、手当たり次第なんでも飲んでいました」と振り返る。
「眠れるようになると信じて、ウォッカやウォッカ・トニック、ワインをよく飲みましたが、それは間違っていました。頭の中で私を質問攻めする声が聞こえていたのですが、それは止めることができました。でも当時、私は一瞬たりとも自分がアルコール中毒だと認めることはありませんでした。コントロールできていると思ってたんです」
約15年間「ディオール」で仕事をしてきたガリアーノは、同世代で最も素晴らしいデザイナーの一人だと認められている。しかし、スキャンダル後のリハビリは難航している。先月には、ニューヨークの名門校パーソンズ美術大学(Parsons School of Design)がガリアーノを招いて行う予定だったワークショップをキャンセルしている。(c)AFP
6月4日に同誌ウェブサイトに掲載されたインタビューでガリアーノは、「少し妙に聞こえるかもしれませんが、私は一連の出来事に感謝しています」と言い、「私は、自分自身についてたくさんのことを学ぶことができました。“何かを作りたくてたまらない少年”という、長く失っていた姿を再発見できました。生き返った気分です」と今の心境を語った。
ガリアーノは2010年、2011年の騒動に続き、公の場で反ユダヤ的な発言をしたことに対してフランス法上合計6000ユーロ(約80万円)の罰金を科せられた。パリのバーで人種差別発言をしたところを映した動画が公開された後、米アリゾナにある施設でリハビリを受けた。
証拠となった動画についてガリアーノは「初めて見たとき、思わず吐いてしまいました」とコメント。「まるで、道路に出ようとした瞬間にバスかトラックが目の前を高速で走りぬけ、足から血の気が引くような感覚です。恐怖で震えて、動けなくなりました」とガリアーノ。当時の自分の行動に未だに困惑しており、発言は本心ではなかったと語る。「私の人生の中で最も不適切な発言でしたが、本心ではありませんでした。何故怒りの矛先をユダヤ人に向けてしまったのかずっと考えてきました」「当時自分自身に腹が立ち、不満がつのりすぎて、自分が言いうる最も悪意のある言葉を発してしまったのだと今やっと気が付きました」
スキャンダルの直前、ガリアーノはコントロールを失った人生を表す絵を描いており、自身のライフスタイルを変えなければ「精神病棟行きになるか、死ぬかだろう」と考えていたことを明かす。当時の生活について「私は、創造意欲を刺激したり、研究をするためにアルコールを飲んだことはありません。そういう意味でアルコールは必要はありませんでした。最初、アルコールはディオールの外での支えみたいなものでした。それからコレクションを終える毎に泥酔するように飲んでいました」
「皆と同じように、体調が戻るまでには2、3日かかりました。しかしコレクションが増えるにつれて飲む回数も増えて、アルコールに依存するようになりました。そのうち、眠れないので薬を飲み始め、体の震えを止めるためにまた別の薬に手を出す・・・。周りの人から大きな酒のボトルをもらったりして、最終的には、手当たり次第なんでも飲んでいました」と振り返る。
「眠れるようになると信じて、ウォッカやウォッカ・トニック、ワインをよく飲みましたが、それは間違っていました。頭の中で私を質問攻めする声が聞こえていたのですが、それは止めることができました。でも当時、私は一瞬たりとも自分がアルコール中毒だと認めることはありませんでした。コントロールできていると思ってたんです」
約15年間「ディオール」で仕事をしてきたガリアーノは、同世代で最も素晴らしいデザイナーの一人だと認められている。しかし、スキャンダル後のリハビリは難航している。先月には、ニューヨークの名門校パーソンズ美術大学(Parsons School of Design)がガリアーノを招いて行う予定だったワークショップをキャンセルしている。(c)AFP