【2月22日 MODE PRESS】-流行を超越した考察としての服

 服は、生きる上で不可欠な日用品であり、人の生活領域を拡張する機能であり、そして人を人足らしめる、さらに言えば、動物と人を決定的に区別することへの賛美、偉大さ、崇高さを謳う宗教的道具である。

■猿から人に進化した時、人は服を着た

そして、その人の進化性を謳い続けるものとして、宗教的なファッションは終わることなく進化する。18世紀までは匿名的な職人による、様々な装飾性の高い服が世界各地で作られてきたが、19世紀の産業革命以降、近代的自我が尊重されるようになり、各ジャンルで個人の才能を尊ぶ風潮が形成され、20世紀に入るとポール・ポワレ、マドレーヌ・ヴィオネなどによるクチュリエによる服へのシグネチャー(署名)が行われるようになった。これがファッション・ブランドの誕生だ。

 そして服が個人の才能の発揮の場となった。そして大胆に省略するが、シャネルやサンローラン、ディオールなどキラ星の如きパリの天才クチュリエたちが、あくまで社交服の進化、洗練を競い合っていたのに比べ、川久保玲、山本耀司、三宅一生などの日本勢、マルタン・マルジェラやウォルター・ヴァン ベイレンドンクなどのベルギー勢、ヴィクター&ロルフのようなオランダ勢、さらにヴィヴィアン・ウェストウッド、ジョン・ガリアーノ、亡きアレキサンダー・マックイーンのようなイギリス勢などの、フランスやイタリアから見たら「ファッションの辺境」の地から、既成の価値観に捉われないデザイナーが大挙登場し、本場を脅かし、そして実は活性化してきた。この構造は、文化人類学者・山口昌男が唱える「中心と周縁理論」そのものだ。

 そして日本を含む辺境組は、ハイファッションの機能性(とくに上流階級の社交服性)を大胆に否定するようなアプローチを行い、上流階級的でも社交向けでもない、ただひたすら「服とは何か、何が出来るのか?」のみを問い続ける、現代美術的といってもいい方向性を取り続けている。

 ゆえに、ファッションの、コモディティでもユーティリティでもない価値を、アート的、現代美術的と呼んでも間違いではないと思うのだが、服とアートの決定的な違いは、アートは鑑賞物だが、服は自ら着るものであること。自らの肉体と共に行動し、生活するものであるということだ。そこでコモディティ性もユーティリティ性も、さらには階級表現性も低いものを着るということは、ある強い価値観に共鳴することを表明する行為に他ならないように思う。それを僕は宗教的と呼んでいる。そう言われて迷惑に思うデザイナーもいるだろうし、「宗教の定義は宗教学者の数ほどもある」との言葉もあるのだが、日常の合理性では捉えきれない超越的な価値体系を提示していれば、それは宗教的という言葉しか適切な表現が僕には思いつかない。

 ニューヨーク・タイムズの2012年5月30日のコムデギャルソンに関する記事「Like Mona Lisa, Ever So Veiled」で川久保玲の夫のエイドリアン・ジョフィは川久保の服への考えを次のように説明している。※参照リンク(1)

「彼女は、流行をはるかに超越した重要な考察を促進させたわけです」

さらに、この長い記事の中で珍しく川久保玲自身もこのように質問に回答している。その彼女の“超越的”な創作プロセスについて、

「私のデザインの過程は始まりもなければ、終わりもないのです。
だから常に終わりなく新しいものを探し続けているのです。そこには達成した瞬間というのはありません。一瞬でも作品が完成した、終わったと思ってしまったら次のことができなくなるからです。」

 超越性への終わりなき探求、それを続ける限り宗教的ファッションは終わらない。このように、ファッションはこれからますます超コモディティ化、超ユーティリティ化、超宗教化していくのではと予想する。そしてその進化の中で、コモディティと宗教の融合(H&Mやユニクロ、ギャップなどの数多くのデザイナーとのコラボ・ライン)、ユーティリティと宗教の融合(アディダスと山本耀司のY-3)のようなことがますます起きてくるだろう。

■ファッションは服ではなく変化のこと

 シャネルのデザイナーを長年務めるカール・ラガーフェルドは、このような名言を吐いている。

「I am a fashion person, and fashion is not only about clothes -- it's about all kinds of change.(私はファッション人間だ。そしてファッションは衣服のことだけではなく、あらゆる変化のことだ)」

 変化こそがファッション。変化しなければファッションではない。そう、ファッションは変化を信奉する宗教なのだ。

 ではファッションが時代の変化に対応できなくなってきたら。そして時代のコミュニケーション・ツールとして機能しなくなってきたら、どうなるか。

 この連載で示してきたように、コミュニケーション・メディアとしてのファッションの機能は、ソーシャルメディアというより速く伝わるメディアの普及でかなり低下してしまった。2013年の現在、今やファッションよりも速く効率的に伝わる「言語」がたくさんある。

 それを補うひとつの、そして大きな方向性が、ファッション業界、流通業界が目論んでいるライフスタイル産業化だろう。服の「言語」力の低下を、他の商材やサービスで補い、時代の変化の気分を演出しようというものだ。これには大いに可能性があるのと同時に、第四回の原稿で指摘したように、扱う領域が拡がるわけなので、他業種との競争も激化する。さらに欧米の先進都市に見られるように、ライフスタイル産業の中心が食になりつつあるので、ファッション業界は全産業がライフスタイル産業化を指向する中で、中心的ポジションに位置できる保証はどこにもない。

 よって、これからファッションを軸としたライフスタイル産業も数々生まれるのと同時に、他業種との積極的な協業も増え、さらには他業種を買収するファッション企業、または他業種に買われるファッション企業も続出することだろう。

 そこで重要になる視点は、もはや見た目はそれほど重要ではない社会=「中身化する社会」が到来しつつあること。そして見た目を重視する場合は、そこに極めて本質的、または超越的価値があること。そのような価値観の地殻変動に対処する必要がある。

■衣服から流行製造産業へ

 ラガーフェルドが「服ではなく変化」といったように、単に服ではない産業にファッション産業が向かうとしたら、ライフスタイル産業という聞こえのいいものに向かうしかないのか。ただ、その言葉に向けて、これから食の業界も、車の業界も、そして住宅業界もそのお題目に向かっていく。ではファッション産業の差別化のポイントは何があるのか。

 思うにそれは、流行を作るということにあるのではないか。今までファッションは途方もない数の流行を作ってきた。数多くの時代の気分も演出してきた。この能力を服だけに閉じ込めず、ライフスタイル全般に展開すること。つまり衣服の産業から、流行製造産業へとシフトすること。どの産業よりも明日の価値観、明日の気分を先取りし、それを様々なメディアと商材を使って美しく演出し、手に取れる具体物として提示する。それを率先してやり続ければ、ファッション産業に勝ち目はある。しかし少しでも後出に回ると、ない。

■時代の気分の3Dプリンターへ

 振り返ってみると、ファッションは常に予言的産業だった。パリコレなどのコレクションは、半年先の流行を提示するものだ。常にファッションは半年先の未来を「来るべき現実」と捉えて提示してきたのだ。その予言性を失わなければ、ファッションに未来はある。

 ただ、高感度な人々がものを作って世の中に出す、というのが一部のプロだけのものではなくなっている。既にアメリカで大きなブームとなっている「メイカー・ムーブメント」のように、3Dプリンターのようなマシーンの発達で、少量の立体物の製品を個人がデザインし製造し、ネットなどを通して販売する時代が来ている。

 話題のベストセラー『MAKERS』(NHK出版)で元ワイアードの編集長であるクリス・アンダーソンはこのように語る。

「未来の起業家や発明家は、アイデアを製品化してもらうために、大企業のお情けを乞う必要はない。(略)同時にデジタル世代は、スクリーンを超えた人生を心から欲し始めている。バーチャルにデザインしたものを、あっという間に日常の世界で手に取って使えるものに作り上げる喜びはピクセルでは味わえない。“リアリティ”を追求すれば、かならずリアルなもの作りに行き着くのだ。」


 しかし、これは実はファッションでは昔から起きていたことだ。日本のファッション業界の黎明期を考えてみよう。それらの多くは原宿、青山周辺の小さなマンション・メーカーだった。そこに集まる高感度な若者たちが数台のミシンで生み出していたものが、多くの流行のきっかけを作ったのだから。そう、かつてミシンは時代の気分の3Dプリンターだった。

 そうであれば、ファッション産業は、時代の気分を率先して具体化する3Dプリンターであればいい。そのためには常に予言的でなければいけない。そしてクリス・アンダーソンが言うように常に「先手を打た」なければいけない。

 ローマのことわざにこうある。「遅れは危険を引いて来る」

 全産業がライフスタイル産業化を目指す21世紀、ファッションが他の産業に遅れる時、流行製造産業としてのファッションは間違いなく終わる。(完)【菅付雅信】

プロフィール
編集者。1964年生れ。元『コンポジット』『インビテーション』『エココロ』編集長。出版からウェブ、広告、展覧会までを“編集”する。編集した本では『六本木ヒルズ×篠山紀信』、北村道子『衣裳術』、津田大介『情報の呼吸法』、グリーンズ『ソーシャルデザイン』など。現在フリーマガジン『メトロミニッツ』のクリエイティヴ・ディレクターも努める。連載は『WWD JAPAN』『コマーシャルフォト』。著書に『東京の編集』『編集天国』『はじめての編集』がある。
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【関連情報】 過去の記事はこちら
第1回「ソーシャルメディアは見栄を殺す」
第2回「ファッションはもはや“速い言葉”ではない」前編
第2回「ファッションはもはや“速い言葉”ではない」後編
第3回「イメージ優先の社会から中身化する社会へ」
第4回「服からライフスタイルへの移行がはらむ問題」
第5回「ファッションが生き残るための三つの道」